ゆかし あたらし

いろいろ書きます。穂乃果ちゃんが好きです。

ローカルアイドルは大都会の夢を見るか? ー地下鉄ラビリンスから見るWUGの東京論ー

1.はじめに

 みなさんのWUGで一番好きな歌はなんですか?僕はぶっちぎりで地下鉄ラビリンスです。元々こういうノリノリのメロディは大好きなんですけど、この曲はそれだけではなく歌詞が魅力的であり一気に惚れ込んでしまいました。今日はそんな地下鉄ラビリンスをWUGの映画を見て思った事なり普段考えてる東京の事だったりいろいろを織り交ぜて考えていきたいと思います。

 

2.メタファーとしての地下鉄

 まずこの歌は大都市(おそらく東京)の複雑な地下鉄網をメタファーにすることによって彼女達の人生を説得力ある形で描いています。その証拠となるのは次の部分です。

満員電車 それが人生の縮図なのかな 不安になる

 パッと聞いただけでは地方から出てきた女の子が大都市の地下鉄に乗るときにとても戸惑ったっていうだけの歌。だけどそうじゃない。地下鉄で迷う事、それが人生の岐路において迷う彼女たちの状況のメタファーになってる。まさにこのメタファーの使い方の巧さが地下鉄ラビリンスの大きな魅力の一つであり、読み解く上での重要な核になります。

 

3.ほとんどが地方のカケラで作られた巨大都市

 この言葉はタモリが東京という街を一文で定義するとしたらというコーナーで回答した物です。東京という街は江戸っ子と言われる江戸時代からの住民の多くですらアメリカンドリームならぬ江戸の夢を求めて地方からやってきた商人がほとんどです。そして戦後はその傾向が更につよくなってきます。進学就職で地方からやってきた人たちやその子孫が東京の住民のほとんどなのです。なんでこんな話をしたのかというとWUGの7人(東京に元々住んでいた方もいましたが)も地方から東京にやってきた人たちだからです。この歌にも地方と東京*1という構図が色濃くでています。例えばこの部分です。

都会育ちじゃないもん

みんな ほとんどそうでしょ?

洗練されたい気持ち

迷路でこじらせた

 洗練されたいと思って地方から東京に来たわけですが、実際は地方のお芋のままですぐに行き詰まってしまいます。東京を我が物顔で歩いてる"みんな"だってほとんどは地方から出てきた人のはずなのになんでと気分が落ち込みます。

 でも、そんな泣きそうな彼女たちにも手を差し伸べてくれる人がいます。*2

ひとりきり泣きそうな時に

たすけてくれたあのひと

救いの神が見えた 友ができた

そうだねここで 頑張ってくよ

(find the exit!)

 冷徹なこの街にも手を差し伸べてくれる人はいてその人のおかげで迷路の出口が見つけられました。まだまだ迷いながらでも地下鉄ラビリンスを彼女たちはまた歩き始めます。

 

4.なんでも受け入れる街

 僕は名古屋(の郊外)に住んでいましたが名古屋というのはどこまで行っても名古屋です。別に名古屋が珍しいわけではありません。大阪だって京都だってどこでも大抵は同じ都市なら同じ街です。

 でも、東京だけは違います。例えば東京と一口に言っても浅草、末広町(アキバ)、銀座、青山一丁目、渋谷では同じ路線*3の沿線にあってもとても同じ街とは言えないぐらいそれぞれにキャラが立ってる街です。でもこういう全然違った街を一まとめにしてできた都市だからこそ、なんでも受け入れてくれるという安心感が生まれると思います。それはこの歌でも2番のサビで歌われています。

さぁ ひとつひとつ駅のキャラや場所

のみこんでいくように

さぁ 行こう 私もこの街に

ぎゅっと のみこまれていく未来

 この都市は全然違った街(駅)のキャラを飲み込んで成り立ってる。だから私たちもきっとここなら認めて貰えるよね。泣きそうで立ちすくんでいた彼女たちもその事に気付いて変わり始めます。

まだ自分ではカフェにさえ入れない 緊張して

 そんなまだまだ芋臭い彼女たちですが出口を見つけて悲観する事はやめています。

ゴージャスなエリア行く頃は

大人になれているかな

それでもきっとずっと恋しいでしょう

ふるさとの味 家族の時間

(find the my way!)

 大人になって東京で成功しても、地方のふるさとが家族が恋しいままでいい。ある意味憧れてた洗練された姿とは違うかもしれませんが、彼女たちは東京の多様性の元にこのような自分の道を見つけることにそしてそれを歩みだすことに成功したのです。*4

 

5.先頭車両から見える景色

 そんな自分の道を見つけた彼女たちですが東京で成功することを諦めたわけでは決してありません。彼女たちは1番のサビと大サビで高らかにこう歌い上げます。

ね 一番前の風景が見たい

ぐっと 夢を胸に抱いて

ね 迷いながらも進んでく

そうだ 地下鉄ラビリンス

 きっと先頭車両は凄まじい混雑で一番前の風景なんてなかなか見れない。それでも夢を抱いて一番前の風景が見たい。迷いながらでも決して諦めないで進んでいく、そうだそれが人生(地下鉄ラビリンス)なんだ。

 そして、アイドルの祭典に再度出場して優勝した彼女たちにとって風景は心でしっかりと見える景色に変わっていきます。

run…いちばん先の

run…景色が見たい

run…夢をいだいて

run…地下鉄ラビリンス

 WUGの地下鉄ラビリンスはこれからもまだまだいちばん先の"景色"を求めて続いていくでしょう。

 

6.地下鉄ラビリンス

 『火花』で芥川賞を受賞した又吉直樹は東京という街について著書『東京百景』の「はじめに」で次のように語っています。

東京果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方も無く深いから嫌いになれない。

 地下鉄ラビリンスの中で彼女たちが東京に抱いた気持ちも似たような物なんじゃないんでしょうか。もしこれが他のアイドルの東京論だったら人混みに流されそうになるのを楽しいと言えたり、街中がカラフルサウンドを広げる七色スピーカーと言えたりするかもしれないですが、WUGにとってはブリッジ部分に次のような歌詞があるようにずっとラビリンスのままなんです。

最短距離じょうずに行けない

ちゃっかり乗りかえたりできない

割り込んだりなんかもしたくない

経路がスマートとかわかんない

歩行中の検索は危険

こまったらあせられないで止まれ

 不器用だから回り道だらけで、引き際も分からなくなって*5、それでも真面目で、いま歩んでる道が正しいのかも分からなくて、それでもがむしゃらに走り続けちゃうから転びかけて、まだまだとても洗練されてるとは言えませんがそれでもそれでも立ち止まりながら進んでいく。そして、いつか自分が貰った気まぐれな途方もない優しさを誰かにあげられるように。

ひとりきり立ちすくむ時に

たすけてくれた優しさ

鼻歌がでる頃は 街に慣れて

優しさ ひとに あげられるはず

 WUGが見た東京はいい物ばかりじゃありませんでした。ガラガラのa-nation(作中の表記を忘れる)や手売りしても見向きもされないCD。それでもまだ東京に受け入れられる事を信じて前を向いてつまづきながらも進んでく。地下鉄ラビリンスはそんなWUGの魅力が溢れる1枚なんだなと思います。

 

7.関連記事

感動器官 : 「Beyond the Bottom / Wake Up, Girls!」神曲すぎて心配になってしまった!

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*1:この歌では地下鉄ラビリンスというのが実際のどこの都市を指してるのか明言されていませんがWUGの映画の内容と後述する内容を元に東京と断定します

*2:映画の内容に合わせるならそれは早坂さんでしょう。

*3:東京メトロ銀座線

*4:実際に映画の劇中にも早坂さんから少女交響曲を受け取ってからWUGらしさを探しながら仙台での仕事も疎かにせずに東京で頑張っていくWUGが描かれています。

*5:ここの部分を結局光塚にちゃっかり乗りかえれなかった菜々美が歌ってるのはなかなかいいですね

自分用オタク用語まとめ

意味が分からなくてググったけどよく分からなかったオタク用語。分かるようになったらどんどん追加していきます。

 

  • セイク→酒
  • ありえん→あり得ないほど
  • ジブリ→自分REST@RT
  • ぽやしみ→おやすみ
  • アド→アドバンテージがある→良い
  • 爆アド→爆発的にアドバンテージがある→とても良い
  • GA→万引き
  • 無限の練りをします→寝ます
  • マルヨ→空港や駅で一晩過ごす事

 

 

成果主義と無能の間で

 僕はプロセスを重視した評価基準より成果を重視したような評価基準の方が正しいと思っている人間です。何年も前からずっとそう確信しています。ただ、大学に入ってアルバイトですが実際に軽く労働というものをしてみて、その確信がすこし揺らぎ始めました。どっちが正しいかなんて僕の中で決まっていますが、思った事を少し書いていきたいと思います。

 実際に働いてみて感じるのが自分の能力のなさです。あんまり細かく言及するとただのメンヘラツイートみたいになるのでやめます。なんていうか社会人基礎力のなさが目立つような事が多々ありました。そんな時に自分を守ってくれてると気付いた物は「まあこいつは頑張ってるし」という周りの目線でした。成果至上主義者の僕がそういうプロセス重視の考え方に守られていたなんて皮肉な話ですよね。そこで気付いたんです。今まで僕が成果主義を正しいと扱っていたのは自分には能力があるから努力なんていう面倒くさい事はせずに評価されたいって思ってただけなんじゃないかって。

 そう思うと成果主義自体が正しい物なのか自分の中でも不安になってきました。頑張ることは誰でもできます。誰でもできる、そういう公平な基準で評価を決める。そっちの方が正しい姿なんじゃないかって。そして、そういう世界の方が自分にとっては過ごしやすいんじゃないのかって。

 でもそんなぬるま湯に浸かって資本主義社会が回るような時代はオイルショックやプラザ合意、冷戦などと共に終わってしまいました。成果主義に進む流れはもう止める事はできないのでしょうし、資本主義社会ではそちらの方が正しいのでしょう。社会のシステムが人を不幸にするとはなんともディストピアっぽいですが社会システムがうまく回らないと僕たち全員が困ります。格差原理と同じで最底辺層の利益になるなら不幸になるような仕組みもしょうがないのではないんでしょうか。そんな流れの中で成果主義を批判できるだけの気力は僕にはありません。

 書きながら本当に正しいと確信しているのか自分の中で分かってない事が分かっちゃいましたね。なに言ってるのかどちらが正しいのか直感なのか自分の間違いを認めたくないのか自分でもよく分からないですけれども僕はそれでも成果主義が正しいことを信じています。

 

アイドルと政治 (1394文字)

 最初に断っておきたいのは僕はアイドルの政治利用自体には肯定的であるということです。まず僕はラブライバーです。μ's自体、当初は国立学校の廃校というある意味政治的な問題をなんとかするために活動を始めたわけで、アイドルの政治利用自体が悪いとは僕は全く思いません。それを前提として今日はいま話題の制服向上委員会というアイドルさんについて思う事を書いていきたいと思います。

 

 まずは実際に制服向上委員会さんの曲を聴いてもらいましょう。

www.youtube.com

 どこかで使い古されたような簡素であんまりクオリティの高くないメロディに大して難しくもないダンス、そして極めつけは最近流行の若者デモでよくやるような即興ラップのような低レベルで何のひねりもない歌詞。これじゃ変わる物も何も変わりませんよ。たとえ反原発に熱狂的な人だってススメ→トゥモロウみたいな歌詞の歌(自分たちの社会を変えたいという気持ちを応援してくれるような歌詞をしてる歌)を歌われた方が嬉しいんじゃないかって思うんですよね。他の曲もおおむねこの調子で二次元とはいえアイドル好きの僕からすると評価されるポイントが全くないように思えてきます。実際に反原発よりの人の中でも良識のある人たちは僕と同じ事を思うそうです。

「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」の気持ち悪さ - あび卯月☆ぶろぐ

 多くの人が問題にしてるやらされてるだとか洗脳されてるだとかはどうでもいいと思います。政治的なメッセージを発するならもっとマシになってくれないかと思うわけですよ。僕も二次元ですけどアイドルが好きでアイドルソングが好きで、それらの力を信じてる人間としてそれらが社会を変えるのが見たいです。だけどこれじゃ無理ですよ。

 

 しかもプロデューサーさんのTwitterを見てるとこんな事をつぶやいてます。

 確かにこの国には政治アレルギーという物があるかもしれませんが、この曲が馴染めないのはただ単にクオリティが低いからです。マスコミさんだってサザンのピースとハイライトみたいに多少政治色が入っててもバランス感覚があってクオリティがそれなりになら好感的に扱ってくれます。このアイドルの歌がそうならなかったのは繰り返しますがあまりに低クオリティだったからです。それを相手の程度が低いから理解できないと勘違いしてるのはちょっと痛々しいですし、何よりその低クオリティな楽曲を著名な賞を取るような作品と同レベルに扱ってるところがもうなんとも言えません。後半はもはやよく分からないのでつっこみません。

 

 とにかく僕が言いたいことはもっといいクオリティを上げろとアイドルを舐めるなって事の二つです。アイドルっていうものはただ曲出して踊って歌えばいいものじゃないんです。物語を売るのがアイドルです。政治主張だけじゃ人は動きません。政治主張を広められるような素敵な物語を売れるアイドルがでてきたら本当に世界は変わってくるのかもしれませんね。

 

 

 

電子の魔女たちのホーリーパーティー 777☆SISTERS座談会 冒頭書き起こし (コンプティーク2016年01月号掲載)

12月9日に新CDを発売したばかりの777☆SISTERSからWITCH NUMBER4としても活躍する4人のキャスト陣が登場!
ユニットのこぼれ話や新曲のオススメポイントを語ってもらった。

時を経て変わっていく4人それぞれの印象
ー初めに、今回の撮影の感想を聞かせてください。
加隈:WITCH NUMBER4(以下:WNo4)の4人でそろって写真を撮るのは初めてでした。クリスマスパーティーのような気分で楽しかったです。ロナたちもこんなふうにみんなでワイワイとジャケット撮影しているんだろうなと想像しちゃいました。
篠田:4人で集まったのも、「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」以来だったので、練習のときの気持ちがよみがえって懐かしい気持ちになりました。
中島:ナナスタのみんなも、きっとCDのジャケットを撮るときにいろんなポーズをとっていたんでしょうね。
井澤:寝ているポーズって、雑誌などで見たことはあったんですが、自分が撮られるのは初めてだったので、新鮮な体験ができて楽しかったです。
ーみなさんから見たWNo4のキャラクターに対しての印象を教えてください。
加隈:じゃあ、ハルからいきましょう。ハルって、初登場のときは全然アイドルになることに乗り気じゃなかったので、最初は「アイドルものなのに、第1話からいきなりこんな子が出てきて大丈夫なの?」って心配になりました。でもお話が進むうちに、ハルがまっすぐでメラメラ燃えていて一生懸命な子とわかってきて、すごく応援したくなりました。いわゆる熱血系のキャラクターって、暑苦しすぎるとギャグに見えちゃうこともあると思いますが、ハルは素直に頑張っているんだなと感じられて、バランスがいいなと思っています。
井澤:暑苦しくないっていうのは、たしかに重要かもしれません。そういう意味では、ヒメも下町気質だけどかわいらしさもあって、バランスが取れている気がします。最初のころは「ヒメ=てやんでぇの子」というイメージだったんですけど、いろんなエピソードで、ヒメがたびたびナナスタに豆腐を差し入れているのを見ているうちに、「豆腐の子」というイメージのほうが強くなってきました。
中島:支配人さんたちの間でも豆腐のイメージは強いみたいです。「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」のときには、豆腐の形をした風船とお花をいただきましたし、豆腐店のエプロンを作ってきてくださった型もいらっしゃいました。かくいう私も、ヒメをイメージして豆腐のキーホルダーを持っています(笑)。
篠田:私のヒメの第一印象というと、EPISODE.004「プリンセス・シタマチ」で、ステージ衣装を見て「こんなかわいい服着れねーよ」と言っていたのが、かわいくて印象に残っています。最近はアイドルに抵抗がなくなってきたのか照れるシーンが少ない気がするので、また初々しいヒナを見たいです。
加隈:それは確かに見たいかもしれないですね。モモカは、あまりにマイペースすぎる子だったので、「この子はみんなの足を引っ張るんじゃないか」と思って心配していました。でも、ほかのみんなが悩んでたり戸惑ったりするなかで、どんな状況でもマイペースで変わらないモモカの存在が、みんなをホッとさせてくれる気がして、いまではモモカのマイペースさが好きです。
篠田:モモカはズボラだけど、自分の好きなものに対する姿勢や、ポリシーはしっかりしていて変わらないですよね。
中島:友達になったら一番楽しそうなのは、モモカだと思います。私の知らないような場所へ遊びに行ってくれそうなイメージです。
井澤:ロナは「ふぇ~」って口グセが、かわいくてズルいなって思う。

 

 

 

 

読取革命が想像以上に使えなかったので本当は全文手動で書き起こそうと思いましたが途中で断念。半分も書き起こせてないからからブログに載せてもいいかなって思ってとりあえず載せてみました。続きが気になる方はコンプティーク2016年01月号をご覧ください。

 

コンプティーク 28年1月号

コンプティーク 28年1月号

 

 

ナナシス設定まとめ

特区は7つある。

  • 第一新尾張区(OWARI-01)
  • 第二新琉球区(RYUKYU-02)
  • 第三新大阪区(OSAKA-03)
  • 第四新福岡区(FUKUOKA-04)
  • 第五新蝦夷区(EZO-05)
  • 第六新仙台区(SENDAI-06)
  • 第七新東京区(TOKYO-07)

・いま分かってる時系列は次の通り。

  • 2017年-遷都先選定開始
  • 2023年-新Tokyo湾コスモポリス計画
  • 2026年-Tokyo-7th完成
  • 2028年-特別芸能人格支援法令
  • 2030年7月7日-セブンスストライク

・各特区の範囲は不明。蝦夷はとりあえず札幌っぽい。*1

・Tokyo-7thは東京湾を埋め立てて作られた。旧東京市街とはモノレールでつながれてる。2026年完成。

  • セブンス中央駅ー空港や旧東京市街に向かうモノレールや地下鉄がでてる
  • 新中央02地区ー新特区庁をはじめとする行政機関や一般企業のオフィスなどが集まる。
  • 7109ストリートーファッションの街、旧東京市街でいう渋谷や原宿かな?
  • アキバセブンスーそのまま、名前の通り。
  • 文教エリアー教育機関が多いらしい。
  • 旧-Ezoストリートーどこかから集めてきたレトロな建物が建ってる。祭とかも割とするらしい。
  • TUKIJI市場ー写真すら見たことないがマイカル本牧のお魚売り場のように水族館か見間違うような内装。現実の新築地市場もこうしような!

・TOKYO-07の正式名称は「国指定国際娯楽都市区画"Tokyo-7th"」。*2

・セブンスストライクはTokyo-07で発生した全域停電事件のことっぽい?その時にやったライブがセブンスシスターズを一躍有名にしたっぽい。

・他の特区に関する情報もでたので追加。正式名所は適当。

  • 国指定国際工業都市区画"Owari-1st"(工業)
  • 国指定国際観光都市区画"Ryukyu-2nd"(リゾート)
  • 国指定国際食品都市区画"Osaka-3rd"(くだおれ)
  • 国指定国際服飾都市区画"Fukuoka-4th"(ファッション)
  • 国指定国際先端産業都市区画"Ezo-5th"(医療やデジタル産業)
  • 国指定国際学術都市区画"Sendai-6th"(学問)

 

 

 

どんどん追加します。

*1:参考画像はTOKYO-07が奥多摩まで東京都マルっとあるのに対してSENDAI-06は仙台市のみだったり参考にならない

*2:どっちが正式名称かも分かりませんが

さしのべようオタクの手を ーハロウィンにおもうことー (2264文字)

 11月になって寒さも厳しくなりました。そろそろマフラーが欲しい頃ですね。

 さて、数年前から始まったハロウィンの日に繁華街で仮装するイベント(?)は今年も行われてそれなりに盛り上がったそうです。ここではハロウィンのイベント(?)の是非についてはおいておきます。僕が気になったのはそれに対するコスプレイヤーを中心とするオタク達の反応です。

 僕が知ってる限り多くのオタク達がハロウィンイベントに批判的でした。今すぐ取りやめさせたいってレベルに批判的な思いを持ってる人も多かった気がします。理由はマナーが悪いというのが中心的です。確かにそれ自体は批判されてしかるべきです。しかし、それにも方法というか言い方という物があるんじゃないんでしょうか。僕が知ってる限り、そういう発言の多くは参加者全員の人格を否定したりするような内容が多いように感じます。そんな事してなんの意味があるのでしょうか。

 まず、最初に起こってきたそういう発言の多くは「マナーを守ってコスプレしてる自分たちが犯罪者予備軍のように扱われて仮装してるリア充はマナーを守らないのに許されてるのはおかしい」というような物でした。しかしよく考えてみてください。コスプレしてる人が犯罪者予備軍のように扱われた事ってありますか?僕はありません。というか世間一般でオタクの中で犯罪者予備軍のように扱われるのってエロゲオタクぐらいじゃないんでしょうか*1?なんていうかただの被害妄想なんじゃないんでしょうか。そりゃ宮崎勤事件があった直後のオタクバッシング全盛期だったら別かもしれません。しかしオタクが一般化して秋葉原に家族連れの観光客が来るようになった今にそれはいくらなんでも言い過ぎだと僕は思います。そして後半の部分なんてただの僻みですよね。

 次におきたのは具体的にマナーを叩く発言でした。「駅や百貨店のトイレで着替えるのはマナー違反だ。」「家からコスプレしてから来るのはマナー違反だ。」「ゴミを捨てるのはマナー違反だ。」 確かに正論な物も多いです。しかしマナーっていうものは最初からそこにあるものでしょうか?僕は違うと思います。PSYCHO-PASSで主人公の常守朱が法という物について「これまで悪を憎んで、正しい生き方を捜し求めてきた人々の想いが…その積み重ねが法なんです。」と語っていましたがマナーについても同じ事が言えるのではないのでしょうか。マナーや文化というものはこれまでの先人たちが必死に積み上げてきた物です。たかが2年か3年しか歴史がないハロウィンイベントにあるわけないじゃないですか。実際に今年の渋谷のハロウィンイベントでは東急や渋谷区によって仮設の更衣室が設置されたり改善が見られてきています。マナーやいい文化ができるのはまだまだこれからなんですよ。これらのマナーに関する発言の多くはハロウィンイベントに参加する人たちへの人格を否定するような内容が入っています。先人達の尊い想いを自分たちの優越感を満たすための道具にするのは果たしてどうなんでしょうか。第一にそういう人たちが比較対象によくあげるコミケだって平気な顔して待機列にゴミが捨ててあるじゃないですか。それにオタク界隈のマナーの多くは宮崎勤事件以来の暗黒時代に世間の目から必死に隠した上で楽しむために産まれてきました。夏コミに外国人が来て話題にもなっていますが家からコスプレしてこないという文化は果たして時代が変わった今では有効だと言えるのでしょうか。立ち止まって考えてみてください。普通の人たちは電車の中でアニメのコスプレしてる人たちをみたらどう感じると思いますか?「オタクだ」とか「気持ち悪い」という程度で止まってこっちに不利益になるような行動をとるようには僕には考えられません。気持ち悪いと思う人に配慮しようとしたら僕たちキモオタクはそもそも外出することができなくなります。とある人が指摘していましたが、こういうオタク達が迫害されている事を前提としたマナーを守り続けること自体が、オタク達を一番被差別民に追い込むのではないんでしょうか。

 ではオタクたちのするべき発言とは何だったのでしょうか。それはオタクたちが持っているマナーをそういう人たちに提供する事じゃないんでしょうか。オタクたちは長年にわたって仮装イベントをやっていく事によって積み上げたマナーや文化があります。それを自分たちの優越感を満たすための道具ではなく、まだ右も左も分からないような人たちに教える事。それこそがやるべきことなんじゃないのかと僕は思います。もちろん自然発生的なイベントであるとか中心になる人たちのパーソナリティの傾向が違うとかオタクたちのやっているイベントからそのまま持ってくる事ができない部分も多くあると思います。そして自分たちを被差別民だと規定するようなルールは持ってくるどころか元からなくしていく必要があると思います。しかし、それでもオタクたちが積み上げてきた物には大きな価値があると思います。本当に被差別民から抜け出したいならここで手をさしのべるべきなんじゃないんでしょうか。そして軽々しく潰そうと思わないでください。それがコミケをはじめとするイベントを必死で守ろうとしてきた人たちのやることですか?オタクたちがそういうイベントを大切に思うようにハロウィンイベントに集まる人たちはハロウィンイベントを大切に思っているはずです。

さしのべようオタクの手 まずは渋谷へ

*1:実際に僕もハマる前はそういう印象を持ってました。