成果主義と無能の間で
僕はプロセスを重視した評価基準より成果を重視したような評価基準の方が正しいと思っている人間です。何年も前からずっとそう確信しています。ただ、大学に入ってアルバイトですが実際に軽く労働というものをしてみて、その確信がすこし揺らぎ始めました。どっちが正しいかなんて僕の中で決まっていますが、思った事を少し書いていきたいと思います。
実際に働いてみて感じるのが自分の能力のなさです。あんまり細かく言及するとただのメンヘラツイートみたいになるのでやめます。なんていうか社会人基礎力のなさが目立つような事が多々ありました。そんな時に自分を守ってくれてると気付いた物は「まあこいつは頑張ってるし」という周りの目線でした。成果至上主義者の僕がそういうプロセス重視の考え方に守られていたなんて皮肉な話ですよね。そこで気付いたんです。今まで僕が成果主義を正しいと扱っていたのは自分には能力があるから努力なんていう面倒くさい事はせずに評価されたいって思ってただけなんじゃないかって。
そう思うと成果主義自体が正しい物なのか自分の中でも不安になってきました。頑張ることは誰でもできます。誰でもできる、そういう公平な基準で評価を決める。そっちの方が正しい姿なんじゃないかって。そして、そういう世界の方が自分にとっては過ごしやすいんじゃないのかって。
でもそんなぬるま湯に浸かって資本主義社会が回るような時代はオイルショックやプラザ合意、冷戦などと共に終わってしまいました。成果主義に進む流れはもう止める事はできないのでしょうし、資本主義社会ではそちらの方が正しいのでしょう。社会のシステムが人を不幸にするとはなんともディストピアっぽいですが社会システムがうまく回らないと僕たち全員が困ります。格差原理と同じで最底辺層の利益になるなら不幸になるような仕組みもしょうがないのではないんでしょうか。そんな流れの中で成果主義を批判できるだけの気力は僕にはありません。
書きながら本当に正しいと確信しているのか自分の中で分かってない事が分かっちゃいましたね。なに言ってるのかどちらが正しいのか直感なのか自分の間違いを認めたくないのか自分でもよく分からないですけれども僕はそれでも成果主義が正しいことを信じています。
アイドルと政治 (1394文字)
最初に断っておきたいのは僕はアイドルの政治利用自体には肯定的であるということです。まず僕はラブライバーです。μ's自体、当初は国立学校の廃校というある意味政治的な問題をなんとかするために活動を始めたわけで、アイドルの政治利用自体が悪いとは僕は全く思いません。それを前提として今日はいま話題の制服向上委員会というアイドルさんについて思う事を書いていきたいと思います。
まずは実際に制服向上委員会さんの曲を聴いてもらいましょう。
どこかで使い古されたような簡素であんまりクオリティの高くないメロディに大して難しくもないダンス、そして極めつけは最近流行の若者デモでよくやるような即興ラップのような低レベルで何のひねりもない歌詞。これじゃ変わる物も何も変わりませんよ。たとえ反原発に熱狂的な人だってススメ→トゥモロウみたいな歌詞の歌(自分たちの社会を変えたいという気持ちを応援してくれるような歌詞をしてる歌)を歌われた方が嬉しいんじゃないかって思うんですよね。他の曲もおおむねこの調子で二次元とはいえアイドル好きの僕からすると評価されるポイントが全くないように思えてきます。実際に反原発よりの人の中でも良識のある人たちは僕と同じ事を思うそうです。
「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」の気持ち悪さ - あび卯月☆ぶろぐ
多くの人が問題にしてるやらされてるだとか洗脳されてるだとかはどうでもいいと思います。政治的なメッセージを発するならもっとマシになってくれないかと思うわけですよ。僕も二次元ですけどアイドルが好きでアイドルソングが好きで、それらの力を信じてる人間としてそれらが社会を変えるのが見たいです。だけどこれじゃ無理ですよ。
しかもプロデューサーさんのTwitterを見てるとこんな事をつぶやいてます。
マスコミのレベルの低さに驚きだ!酷さのTOPは音楽関係でアイドルがメッセージを発信するのは馴染めないだと。一度で良いからグラミー賞やアカデミー賞、TONY賞を観て欲しい。メッセージがないなら作品を創る意味はないし政権与党を批判しただけで左翼にはならない。SKiは「きよく」なのだ。
— 高橋廣行 (@IJR_takahashi) 2015, 7月 6
確かにこの国には政治アレルギーという物があるかもしれませんが、この曲が馴染めないのはただ単にクオリティが低いからです。マスコミさんだってサザンのピースとハイライトみたいに多少政治色が入っててもバランス感覚があってクオリティがそれなりになら好感的に扱ってくれます。このアイドルの歌がそうならなかったのは繰り返しますがあまりに低クオリティだったからです。それを相手の程度が低いから理解できないと勘違いしてるのはちょっと痛々しいですし、何よりその低クオリティな楽曲を著名な賞を取るような作品と同レベルに扱ってるところがもうなんとも言えません。後半はもはやよく分からないのでつっこみません。
とにかく僕が言いたいことはもっといいクオリティを上げろとアイドルを舐めるなって事の二つです。アイドルっていうものはただ曲出して踊って歌えばいいものじゃないんです。物語を売るのがアイドルです。政治主張だけじゃ人は動きません。政治主張を広められるような素敵な物語を売れるアイドルがでてきたら本当に世界は変わってくるのかもしれませんね。
電子の魔女たちのホーリーパーティー 777☆SISTERS座談会 冒頭書き起こし (コンプティーク2016年01月号掲載)
12月9日に新CDを発売したばかりの777☆SISTERSからWITCH NUMBER4としても活躍する4人のキャスト陣が登場!
ユニットのこぼれ話や新曲のオススメポイントを語ってもらった。
時を経て変わっていく4人それぞれの印象
ー初めに、今回の撮影の感想を聞かせてください。
加隈:WITCH NUMBER4(以下:WNo4)の4人でそろって写真を撮るのは初めてでした。クリスマスパーティーのような気分で楽しかったです。ロナたちもこんなふうにみんなでワイワイとジャケット撮影しているんだろうなと想像しちゃいました。
篠田:4人で集まったのも、「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」以来だったので、練習のときの気持ちがよみがえって懐かしい気持ちになりました。
中島:ナナスタのみんなも、きっとCDのジャケットを撮るときにいろんなポーズをとっていたんでしょうね。
井澤:寝ているポーズって、雑誌などで見たことはあったんですが、自分が撮られるのは初めてだったので、新鮮な体験ができて楽しかったです。
ーみなさんから見たWNo4のキャラクターに対しての印象を教えてください。
加隈:じゃあ、ハルからいきましょう。ハルって、初登場のときは全然アイドルになることに乗り気じゃなかったので、最初は「アイドルものなのに、第1話からいきなりこんな子が出てきて大丈夫なの?」って心配になりました。でもお話が進むうちに、ハルがまっすぐでメラメラ燃えていて一生懸命な子とわかってきて、すごく応援したくなりました。いわゆる熱血系のキャラクターって、暑苦しすぎるとギャグに見えちゃうこともあると思いますが、ハルは素直に頑張っているんだなと感じられて、バランスがいいなと思っています。
井澤:暑苦しくないっていうのは、たしかに重要かもしれません。そういう意味では、ヒメも下町気質だけどかわいらしさもあって、バランスが取れている気がします。最初のころは「ヒメ=てやんでぇの子」というイメージだったんですけど、いろんなエピソードで、ヒメがたびたびナナスタに豆腐を差し入れているのを見ているうちに、「豆腐の子」というイメージのほうが強くなってきました。
中島:支配人さんたちの間でも豆腐のイメージは強いみたいです。「H-A-J-I-M-A-L-I-V-E-!!」のときには、豆腐の形をした風船とお花をいただきましたし、豆腐店のエプロンを作ってきてくださった型もいらっしゃいました。かくいう私も、ヒメをイメージして豆腐のキーホルダーを持っています(笑)。
篠田:私のヒメの第一印象というと、EPISODE.004「プリンセス・シタマチ」で、ステージ衣装を見て「こんなかわいい服着れねーよ」と言っていたのが、かわいくて印象に残っています。最近はアイドルに抵抗がなくなってきたのか照れるシーンが少ない気がするので、また初々しいヒナを見たいです。
加隈:それは確かに見たいかもしれないですね。モモカは、あまりにマイペースすぎる子だったので、「この子はみんなの足を引っ張るんじゃないか」と思って心配していました。でも、ほかのみんなが悩んでたり戸惑ったりするなかで、どんな状況でもマイペースで変わらないモモカの存在が、みんなをホッとさせてくれる気がして、いまではモモカのマイペースさが好きです。
篠田:モモカはズボラだけど、自分の好きなものに対する姿勢や、ポリシーはしっかりしていて変わらないですよね。
中島:友達になったら一番楽しそうなのは、モモカだと思います。私の知らないような場所へ遊びに行ってくれそうなイメージです。
井澤:ロナは「ふぇ~」って口グセが、かわいくてズルいなって思う。
本日発売コンプティーク1月号「Tokyo 7th シスターズ」特集は、2ndシングルが好評発売中の777☆SISTERSから、篠田みなみさん・加隈亜衣さん・中島唯さん・井澤詩織さんのホーリーナイト座談会を掲載♪ #ナナシス #t7s pic.twitter.com/8aFruIAgRe
— コンプティーク&コンプエース (@comptiq) 2015, 12月 10
読取革命が想像以上に使えなかったので本当は全文手動で書き起こそうと思いましたが途中で断念。半分も書き起こせてないからからブログに載せてもいいかなって思ってとりあえず載せてみました。続きが気になる方はコンプティーク2016年01月号をご覧ください。
ナナシス設定まとめ
・特区は7つある。
- 第一新尾張区(OWARI-01)
- 第二新琉球区(RYUKYU-02)
- 第三新大阪区(OSAKA-03)
- 第四新福岡区(FUKUOKA-04)
- 第五新蝦夷区(EZO-05)
- 第六新仙台区(SENDAI-06)
- 第七新東京区(TOKYO-07)
・いま分かってる時系列は次の通り。
- 2017年-遷都先選定開始
- 2023年-新Tokyo湾コスモポリス計画
- 2026年-Tokyo-7th完成
- 2028年-特別芸能人格支援法令
- 2030年7月7日-セブンスストライク
・Tokyo-7thは東京湾を埋め立てて作られた。旧東京市街とはモノレールでつながれてる。2026年完成。
- セブンス中央駅ー空港や旧東京市街に向かうモノレールや地下鉄がでてる
- 新中央02地区ー新特区庁をはじめとする行政機関や一般企業のオフィスなどが集まる。
- 7109ストリートーファッションの街、旧東京市街でいう渋谷や原宿かな?
- アキバセブンスーそのまま、名前の通り。
- 文教エリアー教育機関が多いらしい。
- 旧-Ezoストリートーどこかから集めてきたレトロな建物が建ってる。祭とかも割とするらしい。
- TUKIJI市場ー写真すら見たことないがマイカル本牧のお魚売り場のように水族館か見間違うような内装。現実の新築地市場もこうしような!
・TOKYO-07の正式名称は「国指定国際娯楽都市区画"Tokyo-7th"」。*2
・セブンスストライクはTokyo-07で発生した全域停電事件のことっぽい?その時にやったライブがセブンスシスターズを一躍有名にしたっぽい。
・他の特区に関する情報もでたので追加。正式名所は適当。
- 国指定国際工業都市区画"Owari-1st"(工業)
- 国指定国際観光都市区画"Ryukyu-2nd"(リゾート)
- 国指定国際食品都市区画"Osaka-3rd"(くだおれ)
- 国指定国際服飾都市区画"Fukuoka-4th"(ファッション)
- 国指定国際先端産業都市区画"Ezo-5th"(医療やデジタル産業)
- 国指定国際学術都市区画"Sendai-6th"(学問)
どんどん追加します。
さしのべようオタクの手を ーハロウィンにおもうことー (2264文字)
11月になって寒さも厳しくなりました。そろそろマフラーが欲しい頃ですね。
さて、数年前から始まったハロウィンの日に繁華街で仮装するイベント(?)は今年も行われてそれなりに盛り上がったそうです。ここではハロウィンのイベント(?)の是非についてはおいておきます。僕が気になったのはそれに対するコスプレイヤーを中心とするオタク達の反応です。
僕が知ってる限り多くのオタク達がハロウィンイベントに批判的でした。今すぐ取りやめさせたいってレベルに批判的な思いを持ってる人も多かった気がします。理由はマナーが悪いというのが中心的です。確かにそれ自体は批判されてしかるべきです。しかし、それにも方法というか言い方という物があるんじゃないんでしょうか。僕が知ってる限り、そういう発言の多くは参加者全員の人格を否定したりするような内容が多いように感じます。そんな事してなんの意味があるのでしょうか。
まず、最初に起こってきたそういう発言の多くは「マナーを守ってコスプレしてる自分たちが犯罪者予備軍のように扱われて仮装してるリア充はマナーを守らないのに許されてるのはおかしい」というような物でした。しかしよく考えてみてください。コスプレしてる人が犯罪者予備軍のように扱われた事ってありますか?僕はありません。というか世間一般でオタクの中で犯罪者予備軍のように扱われるのってエロゲオタクぐらいじゃないんでしょうか*1?なんていうかただの被害妄想なんじゃないんでしょうか。そりゃ宮崎勤事件があった直後のオタクバッシング全盛期だったら別かもしれません。しかしオタクが一般化して秋葉原に家族連れの観光客が来るようになった今にそれはいくらなんでも言い過ぎだと僕は思います。そして後半の部分なんてただの僻みですよね。
次におきたのは具体的にマナーを叩く発言でした。「駅や百貨店のトイレで着替えるのはマナー違反だ。」「家からコスプレしてから来るのはマナー違反だ。」「ゴミを捨てるのはマナー違反だ。」 確かに正論な物も多いです。しかしマナーっていうものは最初からそこにあるものでしょうか?僕は違うと思います。PSYCHO-PASSで主人公の常守朱が法という物について「これまで悪を憎んで、正しい生き方を捜し求めてきた人々の想いが…その積み重ねが法なんです。」と語っていましたがマナーについても同じ事が言えるのではないのでしょうか。マナーや文化というものはこれまでの先人たちが必死に積み上げてきた物です。たかが2年か3年しか歴史がないハロウィンイベントにあるわけないじゃないですか。実際に今年の渋谷のハロウィンイベントでは東急や渋谷区によって仮設の更衣室が設置されたり改善が見られてきています。マナーやいい文化ができるのはまだまだこれからなんですよ。これらのマナーに関する発言の多くはハロウィンイベントに参加する人たちへの人格を否定するような内容が入っています。先人達の尊い想いを自分たちの優越感を満たすための道具にするのは果たしてどうなんでしょうか。第一にそういう人たちが比較対象によくあげるコミケだって平気な顔して待機列にゴミが捨ててあるじゃないですか。それにオタク界隈のマナーの多くは宮崎勤事件以来の暗黒時代に世間の目から必死に隠した上で楽しむために産まれてきました。夏コミに外国人が来て話題にもなっていますが家からコスプレしてこないという文化は果たして時代が変わった今では有効だと言えるのでしょうか。立ち止まって考えてみてください。普通の人たちは電車の中でアニメのコスプレしてる人たちをみたらどう感じると思いますか?「オタクだ」とか「気持ち悪い」という程度で止まってこっちに不利益になるような行動をとるようには僕には考えられません。気持ち悪いと思う人に配慮しようとしたら僕たちキモオタクはそもそも外出することができなくなります。とある人が指摘していましたが、こういうオタク達が迫害されている事を前提としたマナーを守り続けること自体が、オタク達を一番被差別民に追い込むのではないんでしょうか。
ではオタクたちのするべき発言とは何だったのでしょうか。それはオタクたちが持っているマナーをそういう人たちに提供する事じゃないんでしょうか。オタクたちは長年にわたって仮装イベントをやっていく事によって積み上げたマナーや文化があります。それを自分たちの優越感を満たすための道具ではなく、まだ右も左も分からないような人たちに教える事。それこそがやるべきことなんじゃないのかと僕は思います。もちろん自然発生的なイベントであるとか中心になる人たちのパーソナリティの傾向が違うとかオタクたちのやっているイベントからそのまま持ってくる事ができない部分も多くあると思います。そして自分たちを被差別民だと規定するようなルールは持ってくるどころか元からなくしていく必要があると思います。しかし、それでもオタクたちが積み上げてきた物には大きな価値があると思います。本当に被差別民から抜け出したいならここで手をさしのべるべきなんじゃないんでしょうか。そして軽々しく潰そうと思わないでください。それがコミケをはじめとするイベントを必死で守ろうとしてきた人たちのやることですか?オタクたちがそういうイベントを大切に思うようにハロウィンイベントに集まる人たちはハロウィンイベントを大切に思っているはずです。
さしのべようオタクの手 まずは渋谷へ
*1:実際に僕もハマる前はそういう印象を持ってました。
それを学ぶ意味はなんですか? ー運動会など学校行事についてー
先日大阪府であった組体操の事故のせいで組体操に対する論争が巻き起こっています。その中で組体操擁護派が唱える教育的意義を見てるとなんかもやもやしてきたので今日はその事について書いていきたいと思います。今回は組体操の是非については置いておきたいと思います。*1
学校行事の教育的意義としてあげられる物は組体操に限らずつぎの3つの物があると思います。
- チームワークを学ぶ
- 友情を深める
- 自己達成感を養う
僕は思うんですよ。これってわざわざ面倒な事してまで学ぶ意味なんかありますか?
全てが大切な物っていうのは分かりますよ。僕はラブライバーですからこういうの大好きです。
しかし、学校行事として強制的にやらされるという点や結果の小ささや日本社会の現状を考えるとわざわざそんな面倒くさい事をしてまでもする意味があるとは思えないんですよ。
たとえばチームワークを学ぶなんて言いますけど、チームワークなんて学んで何になるんですか?将来集団でやるプロスポーツ選手にでもなるんですか?日本の一般的な組織は言うほどのチームワークがあるとは思えないですし、学校行事で学べる分なんて一緒にちょっとの間仕事すれば簡単に身につくと思うんですよね。
その次に友情を深めると言いますけど、わざわざ学校行事なんてやらなくても友情が深い人は深いままですし浅い人は浅いままだと思うんですよ。稀に親友になるきっかけになる事があるかもしれませんがそんなの稀です。わざわざその"稀"を目当てに開くほどの物ではないと思います。第一に日本の学校で得られる友情って意味があるんですか?意味がないとは言いませんがあんな偽物の上辺だけの付き合いにそんなに大きな意味があるとは思えません。友達というのは同調圧力ではなく相互リスペクトによって成り立つべきです。日本の学校でできる友達はほとんどが前者で成り立っているような気がします。
最後に自己達成感を養うってなんでしょう。たかが強制されたやらされた学校行事を1つ終わらせたぐらいで得られる自己達成感なんてそんなに意味があるように思えません。みなさん思い出してください。本当に意味がある自己達成感っていうのはどんなに辛い時でも「自分は過去に○○を達成させたから今度も乗り越えてみせる」っていう自信になるような感情ですよ。辛い時に学校行事でそんな事思った事ありますか?ないですよね。
なんというか学校教育はあまりに聖人君子を育てようとしすぎてると思うんですよ。そりゃラブライバーですから僕だってこれらの重要性は分かりますよ。適切なチームワークを持ち協働する事はほぼ全ての人間に高次元の喜びを与えますし、高いパフォーマンスも発揮します。友情だって大切です。適切な友情関係はその人を大きく成長させますし困難に直面した時にも大きな支えになります。自己達成感から来る高い自尊心はその後の人生の飛躍に大きく関わってきます。一回何かで自信をつけた人たちはやっぱりすごく強いです。
でもだからと言ってそれを手にできる人たちはごくごく一部です。学校教育でこれでもかとやっているのにです。*2そんなら意味がないんじゃないんでしょうか?
適切なチームワークを持つ方法なんてそんな簡単に分かったら誰も苦労しませんし、相互リスペクトで成り立つ友人関係を構築するのは高い困難を伴いますし、強い自己達成感は全員が全員体験できる程度の達成じゃ得られないですよ。
みんながみんなこれらを十分に得るなんて無理なんです。そして少なくとも今の学校行事で得ることはほぼあり得ないことだと僕は思います。
もちろん誰とでも馬鹿騒ぎする事が好きな人たちだっていますから取りやめろとまではいいませんけど、自由参加でいいんじゃないんでしょうか? 何事も嫌々やっていいことなんて何もないですよ。
それかそういう下らない名目を取り下げて、理不尽に耐える訓練という事にすればいいんじゃないんでしょうか。現実を教える事は大切です。どこかで適切なきれい事に気付いた人だけがきれい事を覚えればいいのです。気付くヒントなんていくらでもネットやテレビや本に転がっています。気付かなかった人は自己責任です。
教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)
- 作者: 内田良
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/06/17
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こないだ読みましたけど割と面白かったですよ。特に最後の章にある柔道の安全対策に関するお話は少し明るい未来が見えてきます。