ゆかし あたらし

いろいろ書きます。穂乃果ちゃんが好きです。

さしのべようオタクの手を ーハロウィンにおもうことー (2264文字)

 11月になって寒さも厳しくなりました。そろそろマフラーが欲しい頃ですね。

 さて、数年前から始まったハロウィンの日に繁華街で仮装するイベント(?)は今年も行われてそれなりに盛り上がったそうです。ここではハロウィンのイベント(?)の是非についてはおいておきます。僕が気になったのはそれに対するコスプレイヤーを中心とするオタク達の反応です。

 僕が知ってる限り多くのオタク達がハロウィンイベントに批判的でした。今すぐ取りやめさせたいってレベルに批判的な思いを持ってる人も多かった気がします。理由はマナーが悪いというのが中心的です。確かにそれ自体は批判されてしかるべきです。しかし、それにも方法というか言い方という物があるんじゃないんでしょうか。僕が知ってる限り、そういう発言の多くは参加者全員の人格を否定したりするような内容が多いように感じます。そんな事してなんの意味があるのでしょうか。

 まず、最初に起こってきたそういう発言の多くは「マナーを守ってコスプレしてる自分たちが犯罪者予備軍のように扱われて仮装してるリア充はマナーを守らないのに許されてるのはおかしい」というような物でした。しかしよく考えてみてください。コスプレしてる人が犯罪者予備軍のように扱われた事ってありますか?僕はありません。というか世間一般でオタクの中で犯罪者予備軍のように扱われるのってエロゲオタクぐらいじゃないんでしょうか*1?なんていうかただの被害妄想なんじゃないんでしょうか。そりゃ宮崎勤事件があった直後のオタクバッシング全盛期だったら別かもしれません。しかしオタクが一般化して秋葉原に家族連れの観光客が来るようになった今にそれはいくらなんでも言い過ぎだと僕は思います。そして後半の部分なんてただの僻みですよね。

 次におきたのは具体的にマナーを叩く発言でした。「駅や百貨店のトイレで着替えるのはマナー違反だ。」「家からコスプレしてから来るのはマナー違反だ。」「ゴミを捨てるのはマナー違反だ。」 確かに正論な物も多いです。しかしマナーっていうものは最初からそこにあるものでしょうか?僕は違うと思います。PSYCHO-PASSで主人公の常守朱が法という物について「これまで悪を憎んで、正しい生き方を捜し求めてきた人々の想いが…その積み重ねが法なんです。」と語っていましたがマナーについても同じ事が言えるのではないのでしょうか。マナーや文化というものはこれまでの先人たちが必死に積み上げてきた物です。たかが2年か3年しか歴史がないハロウィンイベントにあるわけないじゃないですか。実際に今年の渋谷のハロウィンイベントでは東急や渋谷区によって仮設の更衣室が設置されたり改善が見られてきています。マナーやいい文化ができるのはまだまだこれからなんですよ。これらのマナーに関する発言の多くはハロウィンイベントに参加する人たちへの人格を否定するような内容が入っています。先人達の尊い想いを自分たちの優越感を満たすための道具にするのは果たしてどうなんでしょうか。第一にそういう人たちが比較対象によくあげるコミケだって平気な顔して待機列にゴミが捨ててあるじゃないですか。それにオタク界隈のマナーの多くは宮崎勤事件以来の暗黒時代に世間の目から必死に隠した上で楽しむために産まれてきました。夏コミに外国人が来て話題にもなっていますが家からコスプレしてこないという文化は果たして時代が変わった今では有効だと言えるのでしょうか。立ち止まって考えてみてください。普通の人たちは電車の中でアニメのコスプレしてる人たちをみたらどう感じると思いますか?「オタクだ」とか「気持ち悪い」という程度で止まってこっちに不利益になるような行動をとるようには僕には考えられません。気持ち悪いと思う人に配慮しようとしたら僕たちキモオタクはそもそも外出することができなくなります。とある人が指摘していましたが、こういうオタク達が迫害されている事を前提としたマナーを守り続けること自体が、オタク達を一番被差別民に追い込むのではないんでしょうか。

 ではオタクたちのするべき発言とは何だったのでしょうか。それはオタクたちが持っているマナーをそういう人たちに提供する事じゃないんでしょうか。オタクたちは長年にわたって仮装イベントをやっていく事によって積み上げたマナーや文化があります。それを自分たちの優越感を満たすための道具ではなく、まだ右も左も分からないような人たちに教える事。それこそがやるべきことなんじゃないのかと僕は思います。もちろん自然発生的なイベントであるとか中心になる人たちのパーソナリティの傾向が違うとかオタクたちのやっているイベントからそのまま持ってくる事ができない部分も多くあると思います。そして自分たちを被差別民だと規定するようなルールは持ってくるどころか元からなくしていく必要があると思います。しかし、それでもオタクたちが積み上げてきた物には大きな価値があると思います。本当に被差別民から抜け出したいならここで手をさしのべるべきなんじゃないんでしょうか。そして軽々しく潰そうと思わないでください。それがコミケをはじめとするイベントを必死で守ろうとしてきた人たちのやることですか?オタクたちがそういうイベントを大切に思うようにハロウィンイベントに集まる人たちはハロウィンイベントを大切に思っているはずです。

さしのべようオタクの手 まずは渋谷へ

*1:実際に僕もハマる前はそういう印象を持ってました。

それを学ぶ意味はなんですか? ー運動会など学校行事についてー

先日大阪府であった組体操の事故のせいで組体操に対する論争が巻き起こっています。その中で組体操擁護派が唱える教育的意義を見てるとなんかもやもやしてきたので今日はその事について書いていきたいと思います。今回は組体操の是非については置いておきたいと思います。*1

 

学校行事の教育的意義としてあげられる物は組体操に限らずつぎの3つの物があると思います。

  1. チームワークを学ぶ
  2. 友情を深める
  3. 自己達成感を養う

僕は思うんですよ。これってわざわざ面倒な事してまで学ぶ意味なんかありますか?

全てが大切な物っていうのは分かりますよ。僕はラブライバーですからこういうの大好きです。

しかし、学校行事として強制的にやらされるという点や結果の小ささや日本社会の現状を考えるとわざわざそんな面倒くさい事をしてまでもする意味があるとは思えないんですよ。

たとえばチームワークを学ぶなんて言いますけど、チームワークなんて学んで何になるんですか?将来集団でやるプロスポーツ選手にでもなるんですか?日本の一般的な組織は言うほどのチームワークがあるとは思えないですし、学校行事で学べる分なんて一緒にちょっとの間仕事すれば簡単に身につくと思うんですよね。

その次に友情を深めると言いますけど、わざわざ学校行事なんてやらなくても友情が深い人は深いままですし浅い人は浅いままだと思うんですよ。稀に親友になるきっかけになる事があるかもしれませんがそんなの稀です。わざわざその"稀"を目当てに開くほどの物ではないと思います。第一に日本の学校で得られる友情って意味があるんですか?意味がないとは言いませんがあんな偽物の上辺だけの付き合いにそんなに大きな意味があるとは思えません。友達というのは同調圧力ではなく相互リスペクトによって成り立つべきです。日本の学校でできる友達はほとんどが前者で成り立っているような気がします。

最後に自己達成感を養うってなんでしょう。たかが強制されたやらされた学校行事を1つ終わらせたぐらいで得られる自己達成感なんてそんなに意味があるように思えません。みなさん思い出してください。本当に意味がある自己達成感っていうのはどんなに辛い時でも「自分は過去に○○を達成させたから今度も乗り越えてみせる」っていう自信になるような感情ですよ。辛い時に学校行事でそんな事思った事ありますか?ないですよね。

 

なんというか学校教育はあまりに聖人君子を育てようとしすぎてると思うんですよ。そりゃラブライバーですから僕だってこれらの重要性は分かりますよ。適切なチームワークを持ち協働する事はほぼ全ての人間に高次元の喜びを与えますし、高いパフォーマンスも発揮します。友情だって大切です。適切な友情関係はその人を大きく成長させますし困難に直面した時にも大きな支えになります。自己達成感から来る高い自尊心はその後の人生の飛躍に大きく関わってきます。一回何かで自信をつけた人たちはやっぱりすごく強いです。

でもだからと言ってそれを手にできる人たちはごくごく一部です。学校教育でこれでもかとやっているのにです。*2そんなら意味がないんじゃないんでしょうか?

適切なチームワークを持つ方法なんてそんな簡単に分かったら誰も苦労しませんし、相互リスペクトで成り立つ友人関係を構築するのは高い困難を伴いますし、強い自己達成感は全員が全員体験できる程度の達成じゃ得られないですよ。

みんながみんなこれらを十分に得るなんて無理なんです。そして少なくとも今の学校行事で得ることはほぼあり得ないことだと僕は思います。

もちろん誰とでも馬鹿騒ぎする事が好きな人たちだっていますから取りやめろとまではいいませんけど、自由参加でいいんじゃないんでしょうか? 何事も嫌々やっていいことなんて何もないですよ。

それかそういう下らない名目を取り下げて、理不尽に耐える訓練という事にすればいいんじゃないんでしょうか。現実を教える事は大切です。どこかで適切なきれい事に気付いた人だけがきれい事を覚えればいいのです。気付くヒントなんていくらでもネットやテレビや本に転がっています。気付かなかった人は自己責任です。

 

 

教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)

教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 (光文社新書)

 

 こないだ読みましたけど割と面白かったですよ。特に最後の章にある柔道の安全対策に関するお話は少し明るい未来が見えてきます。

*1:僕は組体操のリスクがあまりに高いと思うのでそれを辞めて、組体操が駆逐したのがソーラン節、いやそれじゃちょっと古い気もしますから適当に流行の曲のダンスでもやればいいと思います。

*2:まあ友達だけは例外な気もします

成功する組織の特徴とは ー組織論から見るμ'sと音ノ木坂学院生徒会ー (4218文字)

1.はじめに

ラブライブ!1期中盤までμ'sと対になる組織として描かれてたのは絢瀬絵里率いる生徒会です。どんどん結果を出してくμ'sと比べてエリチというか生徒会は空回りしてるような印象が目立ちました。結局、エリチがμ'sに加入したためにこの対立軸という物は形骸化してしまうんですが、μ'sは廃校を止められましたが生徒会では止められない事はなんとなく想像がつきますよね。

この結果の差はなんでしょう。いろんな要素があると思いますが、今回はこれを組織の問題としてとらえて掘り下げてみようと思います。そして生徒会がμ'sのようになるには具体的にどうしたら良かったのかを考えて、僕たちが組織を動かす時の参考になればすごくいいなと思います。

 

2.成功の要素

小規模な組織が成功するか否かのは、「学習フレームができている環境」「心理的に安全な環境」「失敗を許容する環境」「多様性が認められてる環境」これらがあるかないかに寄るところが大きいと僕は考えています。心理的に安全な環境や学習フレームってなんぞやって思う人もいるかもしれませんがそれは後で解説していきます。μ'sはこれらの四つの要素があると僕は思います。反対に生徒会には情報が少ないのですべてとは言えませんが欠けてる要素が多いような気がします。ここからはそれぞれの要素についての比較と改善案を見ていきましょう。

 

3.学習フレームができている環境について

フレームというのはなんでしょう。簡単に言うと個人のとらえ方です。学習フレームというのは個人が組織を学習する場ととらえている事を言います。ちなみに経営学というか組織論の世界で学習と言うと試行錯誤という言葉に近い意味になります。

μ'sに関してはこれが出来上がってるように思います。実際に1期の作中では練習中にリーダー(穂乃果ちゃん)やマネージャー(エリチや海未ちゃん)以外の人も振り付けなどの変更について意見を出すシーンもありますし、作中で描かれない所でも積極的に行われているのでしょう。

では、生徒会はどうでしょう。これは作中における描写が少ないのでどちらと言えません。しかし一般論で言うと生徒会という組織は学習する場というより作業する場という印象が強いと思いますし、音ノ木坂学院の生徒会についても例外ではないような気がします。

では生徒会はどのように改善すればいいのでしょう。それはリーダーは自分も人間だから間違いがある事を認めて目的を達成するためには他のメンバーの力が必要であること、そのためにやって欲しい行動*1を具体的な言葉を使って述べる事です。エリチが一回はっきりそう言う事が事態を打開する鍵でしょう。

 

4.心理的に安全な環境について

心理的に安全な環境という言葉を聞いたことある人は少ないでしょう。簡単に言えばこの組織の中では自由に意見を言っても絶対に否定されないという組織というかメンバーへの信頼みたいな物です。

この点、μ'sはどうでしょう。3rdユニットシングルでは衣装と振り付けを考える会議の様子を描いたドラマパートが収録されていますが、その中で普段はあんまり意見を表に出さない花陽ちゃんが促されながらも会議の流れとは反対の意見*2を言って他のメンバーもそれを貴重な意見の一つとして受け入れます。心理的に安全な環境ができあがっていると見ていいでしょう。

しかし、生徒会は違うようです。エリチは8話でオープンキャンパスでμ'sにライブをやって貰おうって意見を出してきた人たちに威圧感を出して他の意見を出すようにいいます。これじゃ自由な意見なんてでてきませんね。その上、エリチがアルパカに唾かなんかを吹きかけられた時に後輩達(?)が必死に顔を拭いてるシーンがあります。ここから読み取れるのは厳しい上下関係です。顔ぐらい自分で吹くべきじゃないんでしょうか。厳しい上下関係は心理的安全に対してネガティブな影響をもたらします。μ'sが先輩禁止にしたのは組織論的にもすごく理にかなった事だったんですね。やっぱり、この分野だと現状では今ひとつですね。

ではどうすればいいのでしょう。

まずはリーダーが直接はなしが出来る親しみやすい人になりましょう。μ'sに入る前と後のエリチを比べたら分かりやすいと思います。そして前の章で述べたように自分が間違うことを認めて、他のメンバーに力を貸して欲しい事って事を述べましょう。そして最後に、これはμ'sでは行われていない事*3ですがやってはいけない事を明確にしましょう。そうすればその中では自由にすることに対しての恐れが減ります。またそのやってはいけない事を誰かが破った場合には公平にきちんと罰しましょう。

 

5.失敗を許容する環境について

失敗を許容する環境とはどういう事だろう。それは失敗する可能性が高い事にもチャレンジすることができる環境という事であります。*4この点に関してμ'sがそのような環境があることは誰しもが認める事でしょう。

では生徒会はどうでしょう。生徒会に関しては情報が少なくて断定ができませんが、エリチがμ'sをオープンキャンパスに参加させる事を渋った理由の一つに失敗を恐れたというのがあると思いますし、生徒会のやってる事はとても保守的に感じます。やっぱり失敗を許容する環境と言うのは難しいように感じます。

では、生徒会はどうしたらいいのでしょう。

まずはリーダーの意識改革です。怖がる癖は捨てましょう弱気な僕にさよならしましょう。これは一人の問題なので少し意識すればできると思います。今度はその意識を広めていくにはどうしたらいいのでしょう。簡単な事です。失敗にインセンティブを与えればいいのです。何か新しい事にチャレンジして残念ながら失敗した人に対してインセンティブーこの場合はチャレンジについて簡単なねぎらいや褒める言葉がいいと思いますーを与えてなんで失敗したのかをみんなで考えるような習慣を作るようにしましょう。心理的安全も大きく関わってきますね。また考える時には失敗に対する責任について追及するのは絶対にやめましょう。

 

6.多様性が認められてる環境について

多様性を認める事の大切さ、これは説明するまでもなく大事な事だと誰もが知ってはいると思います。ではなぜ重要なのでしょう。まず組織のメンバー全員が同じ信念や考え方や意見を持っている事はまれだからです。多様性を認めなかったらこのような差異がメンバー間に亀裂を生むことになります。また多様性は新たな可能性を生み出します。ではμ'sから見ていきましょう。μ'sに多様性があってそれが認められているというのは一目瞭然ですね。実際に2期6話で穂乃果ちゃんが「みんな個性的なんだもん。普通の高校生なら似たもの同士が集まると思うけど、私たちは違う。時間をかけてお互いのことを知って、お互いのことを受け入れあって、ここまで来られた。」と言います。多様性を認める事で成長してきたとはっきり言ってますね。

その一方生徒会はどうでしょう。μ'sに対するエリチの姿勢を見る限り多様性を認めているとは言えないような気がします。生徒会は今まで述べたようにピラミッド型の組織である可能性が高くリーダーであるエリチの姿勢がそのまま組織の姿勢に表れてしまいます。これについてもまだ不十分でしょう。

では解決策はどうしたらいいのでしょう。これは難しい問題です。μ'sがなぜ多様性を認める環境を手に入れられたのかは組織体質が2年生組3人の間の関係に由来しているからです。そして3人の関係は生まれ育った音ノ木坂というか秋葉原という街が多様性を認める街だったことに由来します。*5完全に特別な例なのです。でも策がないわけではありません。一つは共通の目的を持つことによって一つにまとまることです。二つは先に述べたように心理的に安全な環境を作る事です。三つ目は他の人に感心を示して積極的に質問したり情報共有する事がいいことだという雰囲気を作る事です。これはリーダーが率先して行えばいい感じでしょう。

 

7.最後に

今回は言及しませんでしたが、決断力という事は組織において非常に重要です。μ'sは穂乃果ちゃんという天才的な決断力の持ち主がいた事が成功の大きな要因でもあります。でもそういう個人の資質に頼るのはあんまりいいことではありません。だれにでも通用する決断力の付け方、それは今まで述べた事の中に答えがあると僕は思います。

μ'sと生徒会というのは、これからの組織と従来の組織のメタファーのように思えます。産業革命以来、成功する組織というのはそれぞれが自分に課されたノルマを忠実にこなす、そういう組織でした。今ではその考えは完全に過去の物になりました。それがラブライブ!にも表れています。そしてなにより、どちらの方が所属する人にとって幸せなのかはμ'sに入る前後のエリチを見れば一目瞭然です。組織の成功は組織の構造によるところが大きいと僕は思っています。一つでも多くの組織が成功する組織に笑顔を消さずに働ける組織になるように僕は祈っています。

 

8.参考図書

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

 

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 

 

 

 

 

*1:例えば自分が間違えてたらその場ではっきり言って欲しいとか

*2:その直前に数個出ていた出てたアイデアの方向性とは反対の意見という意味で、会議からそれた意見という意味ではありません

*3:μ'sもここで一人で抱え込まないなど何かを決めていれば12話のような悲劇的な状況は回避できていたのかもしれませんね。

*4:もう小さな失敗から学ぶ事により大きな失敗を防ぐという意味合いもあるのですがこれは今回は置いておきます。

*5:ことりちゃんSIDに女の子同士の間ではちょっと珍しいけどと言いながら書いてありますね。

アニメ考察についていろいろと (2197文字)

1.はじめに

みなさんはアニメを見て考察とかするタイプですか? しないタイプですか?

僕はどちらかと言うとするタイプだと思います。

今回はアニメ考察とかをしていて思った僕のそれに対する持論を書きたいと思います。

それぞれの見出しが独立した文章ですし、思いついたらその都度追加していきます。

 

2.作者と考察

アニメ考察を割としてる人たちは必ず一回は「作者はそこまで考えてないと思うけど」みたいな事を言われたことがあると思います。僕もその疑問に前はうまく答えられませんでした。

しかし、作者がどこまで考えてるかなんてそんなに大切な事でしょうか?

eroge-pc.hatenablog.jp

この記事は少し極端ですが大筋ではその通りだと思います。

作者が何を考えて書いたのかより、僕たちがどう感じたかの方が大切なんじゃないんでしょうか。主観的すぎると思われるかもしれませんが、アニメというのは映像コンテンツであるため、完全な客観性を持って文章に落とし込むことは不可能ですし、人間の心理を読み取れる技術なんてものは存在しません。そんな中で客観性を保つのって不可能だと僕は思います。

僕が最近考えてるのはアニメ考察という物はある意味二次創作の一つなんじゃないのかということです。アニメ自体をベースとしてそれらの行間を補うための何かを自分で作る事。それがアニメ考察なんじゃないんでしょうか。だからこそアニメ考察という物は考察記事ではなく二次創作の小説や漫画やSSなどに還元されるべきな気もします。

 

3.考察はなんのために

アニメ考察をしてる人は必ず一回は「そんなに考えてアニメを見て楽しいの?」とか「アニメは頭を空っぽにして見る物でしょ?」と言われたことがあると思います。でも、僕にはちょっとそういう考えが理解できないんです。確かに頭を空っぽにして見るアニメもあります。最近見たアニメですと、考える暇を与えずにハイセンスなギャグをどんどん打ち込んでくる『てーきゅう』や頭の回転数を自然と下げ心を優しさで包み込に自然と涙がこぼれ落ちてくる『たまゆら』などが頭をからっぽにして見る物だと思います。あと『ラブライブ!』もとくにこれといって考えなくても感動できる人が多いみたいですね。

これらに共通する事はなんでしょう。それはポルノのようなものであることです。

てーきゅう』は笑いのポルノでありますし、『たまゆら』は優しさのポルノです。そして『ラブライブ!』は青春のポルノです。*1

ポルノというと悪いイメージが付くような気がしますが、僕は決してそうではないと思います。俗にポル産アニメと言われるそのままの意味でのポルノは別ですが、それ以外の物でポルノ作るのってなかなか難しいと思うんですよね。感動のポルノや青春のポルノはまだしも、笑いのポルノなんて才能がないと作れないように思えます。考える必要のあるアニメと考える必要のないアニメだったら普通に考えると前者の方が優秀な気がしますが、考えたら面白いアニメと考えなくても面白いアニメだったらどう考えても後者の方が優秀で作るのも難しいように僕は感じます。

つまり何が言いたいかというと頭を空っぽにして見て面白いアニメという物は限られてますし、それ以外のアニメはある程度頭を使わない限り面白くないと思います。萌えのポルノだけで作品を見続けられるような忍耐力は僕にはありません。

それでも、考えてばかりだとアニメは楽しくないんじゃないの?って思う人たちはまだいると思います。それはとんでもない誤解です。考察しながら見る事によってアニメは何倍も面白くなりますし感動するようになります。考えてアニメを見てつまらないって思うのは考える事が作品の外側をなぞるような物ばかりだからではないでしょうか。キャラの心情に対する考察という物は作品を見る事によって得られる感情の高まりを更に強化します。

単純に考えてみてください。例えばラブライブ!の1期4話で最後のμ'sに花陽ちゃんが入るシーンは感動するシーンとよく言われてますが、花陽ちゃんが「μ'sのメンバーにしてください」と言うところだけを見せられたら果たして感動するでしょうか?

何も感動しませんよね。あのシーンが感動するのはアイドルに憧れて本当はやってみたいと思いながら自分には無理だと決めつけていて、諦めていた夢への一歩を友人の助けを借りながらもちっぽけな勇気を頑張って振り絞ってやっと一歩を踏み出したという前情報があってこそのあのシーンであって、あのシーンだけ見せられたも感動しません。

感動って言う物はポルノ的な作品じゃなければそういう前情報があって初めて生まれる物なのです。そのような隠された前情報を探すことが面白い考察なのです。これによって隠された前情報を見つければ見つける程感動できる場所が増えます。そして、その前情報を元に心の中でキャラクターの心情をシミュレーションできるようになれば、アニメの感動は一気に高まります。*2これこそが考察をする意味なんじゃないんでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

*1:映画の話になりますが例えばマッドマックスは暴力のポルノとよく表現されます。だからこそあれだけヒットしたのです。

*2:僕は1期8話でこれをやっと時はついエリチの心情をシミュレーションしすぎて最後のシーンで穂乃果ちゃんに対して無意識で泣きながら感謝の言葉を述べていたことがあります。

ラブライブ!のメッセージとはなんでしょう? 簡単にまとめてみました。

1.始めに

アニメにしろ何にしろ物語に触れる事の目的とはなんでしょう?

僕には二つの物があると思います。一つは感情を刺激することです。

そして二つはそこから何かを学んで自分の人生に活かすことです。

今回は後者の方にスポットライトを当ててみました。ラブライブ!から何を学ぶ事ができるのかそれをこれから話していきたいと思います。

 

2.ラブライブ!の可能性

アニメ版ラブライブ!で起きた奇跡はただのご都合主義ではありません。彼女達は奇跡を起こすべくして奇跡を起こしました。つまり、その方法を一般化することができれば必ずではないにしろ奇跡的な事が起こせるようになるのではないか。

ラブライブ!みたいに奇跡を起こすアニメなんてごまんとあるじゃないか、なんでラブライブ!が特別なんだ!と思う人もいるかもしれません。

しかし、アイドルアニメというコンテンツは普通のアニメと違いドラマだけじゃなく大量の音楽やライブ映像で僕たちを魅了してきます。これだけドラマ以外の物で物量を投下できるのはアイドルアニメしかないのです。3Dと2Dのハイブリッドにより大量のライブシーンを挿入する事が可能になってるラブライブ!は特にそうです。

だからこそ、ラブライブ!は特別で大きな力を持つ物なのです。

 

3.ラブライブ!のメッセージとは

ラブライブ!のメッセージについて僕がぱっと思いつく物は次のような物です。

  1. 仲間と共に目標に向かって全力で進む大切さ。
  2. それぞれがやりたいことをやる大切さ。
  3. 異なる人たちが互いに認めう大切さ。
  4. 変わることを恐れない大切さ。
  5. 未来をしっかり見る大切さ。

ラブライバーの人たちにはわざわざなんで大切かという解説する必要なんてないと思いますので解説は省略します。*1

 

4.このメッセージをどう活かすか

ラブライブ!考察まとめで有名なmomorinさん(@momorin_cloverZ)がラブライブ!というタイトルの解釈としてすごくいいことを言っていました。

momorin1227.tumblr.com

いまを生きている(Live)ことを 全力で愛する(Love)ために

最初の話に戻りますがアニメを見る目的の一つは自分の人生に活かすためだと僕は考えています。この言葉はラブライブ!を見る事の目的を短い文章で的確に表しています。いま生きてることを全力で愛するために必要な事として僕は五つのラブライブ!からのメッセージをあげました。

ラブライブ!に感動した人たちは是非これを実践してみてください。『Happy maker!』・『Dreamin' Go! Go!』・『SUNNY DAY SONG』μ'sはあなたを応援してくれています。もちろん、僕たちは彼女たちみたいに天才じゃありません。これだけじゃどうしようもないです。もしこれだけの事で奇跡が起きるのなら、似たような事が書いてある自己啓発本が大量に売れてるのに社会がちっとも明るくならないのとつじつまがあいません。

でもご安心ください。ラブライブ!は具体的なヒントも与えてくれてます。そして、それらの多くを裏付ける社会科学ー特に組織論ーの研究データもあります。それについてはこれからまた別の記事で書いていきたいと思います。

 

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

チームが機能するとはどういうことか――「学習力」と「実行力」を高める実践アプローチ

 

 

*1:ラブライバーじゃない人はすいません。

クリエイティブ精神を受け止める場所であること ーコミケと露出レイヤー問題についてー (1463文字)

受けとめてあげるここで
最初は少しためらっても
受けとめる場所があるって
もっともっと知ってほしくなるよ…なるよ!

 (μ's - SUNNY DAY SONG)

コミケの魅力ってなんでしょう。僕は一言で言うと多様性だと思います。

社会学や化学などのお堅い本から様々なジャンルのエロ本まで、本当にどんな事に興味を持っていても絶対にお目当ての本が見つかるようないろんなジャンルの本があります。僕も今回、ネット中を探し回っても全然見つからなからないジャンルの本を見つけて大満足しました。

多様性があることとクリエイティブな環境であることは大きく関係しています。コミケなら規則に沿えばどんな物を出しても許されるし好きな人に巡り会える。そんな想いから生まれるクリエイティブな環境こそがコミケの魅力なんじゃないんでしょうか。

 

何度も言いますコミケの魅力は多様性です。不健全だから不愉快だから追い出すそんな事は絶対にあってはならないのです。

しかし、残念ながらそのような風潮が広まりつつあるジャンルがあります。

そう、コスプレ界隈です。

僕の感情論を述べますと露出レイヤーやそれに群がる男達ははっきり言ってとても気持ち悪いです。メンヘラ女が露出で男に媚びてる様子や、それにまんまと釣られる様子は非常に気持ち悪いです。

しかし、だからと言って追い出すなんてしていいはずがありません。

そんな事したらやってる事は日本が悪く見られるから不健全な漫画やアニメを規制しようとするおばさんと一緒じゃないですか。

確かに道徳的にはあまりよろしい事じゃありませんよ、でもエロ本売ってるイベントに道徳性なんて求める方がおかしいんですよ。多様性を担保するという事はアングラな物とも関わっていく事です。

露出レイヤーはキャラへの愛がないと言う人たちもいます。それの何が問題なんですか?このアニメのキャラクターの服装可愛いから着たい、そじゃダメなんですか? 第一にオタクの愛なんてほとんどが後ろに(笑)が付くようなもんじゃないですか、なんぜそんなに偉そうなんですか?

露出レイヤーは目立ちたいからコスプレしてるだけと言う人がいます。目立ちたくないならなぜコミケのコスプレ広場なんてわざわざ追加料金払って大きい荷物を持ってまでも来るんですか? 程度の大きさの問題はあれどもみんな目立ちたいから来てるんですよね。それでいいじゃないですか。

コスプレイヤーなら露出以外が人気を取るべきだという人がいます。これはその通りです。露出レイヤーの方々も露出するのはいいとしてもっとクオリティを上げるように努力して欲しいですね。

 

なんかいろいろ書いてきましたが要するに、多様性が魅力の環境で道徳性や感情を元に特定の物を追放することは絶対にやってはいけない事と書きました。もちろん違法なら別ですが今のところ彼女達はコミケのルールは守ってると思います。*1

しかし、このままって言うのはどうかと思いますし普通のコスプレイヤーの人たちが露出レイヤーの人たちと一緒にされたくないと言うのは当然の気持ちです。

だから、僕はコスプレブースを一般と露出で2つに分けるのがいいと思います。そして露出レイヤーさんたちの方にはグラビアコスプレみたいな新しい呼称を作ってあげてそれを広めたらいいと思います。アイドルとグラドルが区別されてるように、普通のコスプレイヤーと露出レイヤーもそのうち区別されるようになるでしょう。

 

*1:一応、カタログのコスプレのページは一通り目を通した事があります。

二次創作レビュー SS 凛「塾に行くにゃ」 (870文字)

blog.livedoor.jp

僕が受験期にリアルタイムで見させて頂いたSSです。

ストーリーを簡単に説明すると2年生になってなんとなく行った塾の夏期講習で数学の面白さに目覚めた凜ちゃんが泣いたり笑ったりしながら東京大学を目指すお話です。

 

このSSの面白いところはラブライブ本編のような青春スポ根を受験勉強でやっているところにあります。受験勉強って決して避けられないし多くの人たちが人生で一番力を入れるところですし、なぜいままで青春スポ根がほとんどなっかったのか謎ですよね、まあ探せば少しはあるんでしょうけど。仲間達と泣いたり笑ったり喜んだり、ときには喧嘩をしながら大きな目標に向かっていく凜ちゃんを始めとする1年生組3人の姿はアニメ本編同様に見ててと元気を貰えます。

ラブライブ!の劇場版の後も続いてく彼女たちの青春が見たい方に是非読んで欲しいです。彼女たちの奇跡はあそこ(μ's解散)できっと終わらないでしょう。それの一つの答えがこのSSだと思います。

そして、このSSはいま高校生の方に是非読んで欲しいです。少しですがちゃんとした受験知識の話もありますし、何よりモチベーションが前よりずっと大きくなると思います。*1

 

最後にこのSSを読む時は所々でμ'sの楽曲を思い出してください。*2僕があの中に書き込んだように『どんなときもずっと』がピッタリなシーンがあります。是非そこでは『どんなときもずっと』を。他のシーンでもそれぞれがピッタリだと思った曲を思い出してみるともっと楽しめると思います。

 

*1:まあ、人によってはというか僕みたいに精神状態が一気に悪くなった人もいますが

*2:というか勝手に脳内再生されますよね。