ゆかし あたらし

いろいろ書きます。穂乃果ちゃんが好きです。

入門・七尾百合子

はじめに

この記事は七尾百合子について知りたいけどよく分からない人向けの七尾百合子解説記事です。あることないこといろんな事が書かれており、これを読めば君も七尾百合子についてきっと詳しくなれる事間違いなしです。二次創作のキャラディテールを深めるのに使っていただけると幸いです。ただ9割ぐらい妄想設定な上、公式設定とそこまで区別されずに書かれてる事もあるのでそこはご了承ください。


  • はじめに
  • 性格概要
    • 人見知り
    • 妄想好き
    • 本を読むのが好き
    • 意外と元気
    • 運動が苦手
    • まとめ
  • 環境概要
    • 家庭環境
    • 学校環境
    • 能力
    • 読書
    • まとめ
  • 読書
    • 七尾百合子の読書
    • 七尾百合子が読んでる本
    • 読書の効用
    • 七尾百合子と読書
  • 学校
    • 学校自体
    • 学校での人間関係
    • 学力
      • 国語
      • 英語
      • 数学
      • 理科
      • 公民地理
      • 歴史
  • 交友関係
  • 家庭環境
    • 家族構成
    • 収入・資本
    • 家族関係
  • 地域環境
  • アイドル
    • ライブ
    • テレビ
    • 配信
    • 活字
    • 役者
    • その他
  • 身体
    • 脳と神経系
    • 身体
  • 心理面
    • 好奇心と感受性
    • 弱気な理想主義者
    • 理想と現実
    • その先へ
  • おわりに
  • TIPS
    • 1.カバンの中身(2020夏)
    • 2.モーニングルーティン(休日、仕事があるとき)
    • 3.あだ名
    • 4.苦手な食べ物

性格概要

議論を始める前にその前提となる七尾百合子の基本的な性格の概要についてまとめておこう。まず性格の概要を求めるのに必要ないくつかの性格的な特徴についてリストアップしてみよう。

  • 人見知り
  • 妄想好き
  • 本を読むのが好き
  • 意外と元気
  • 運動が苦手

まとめるとこのような感じかと思われます。七尾百合子については他にいろいろな特徴がありますが、とりあえず核となるのはこのような感じかと思われますし、ここにあげたものについては自明と考え点も問題ないでしょう。ではこれらは実際にどのような性格の基底部分に繋がっているのでしょうか。これから、それぞれの項に分けて一つずつそれぞれの特徴がどのような性格を表すか、見ていく事にしましょう。

人見知り

まず七尾百合子の特徴について述べる時に一番最初ぐらいに扱われるのは人見知りだという事だと思われます。人見知りというのはご存じだと思われますが、初対面の人を苦手に思う特徴の事を言います。人間は子どもの頃には誰でも人見知り期があり*1、それは発達において重要な役割を果たすのですがそれは成長と共に緩和していくのが普通です。しかし、全員が全員そういうわけではなく、一部にはそのような特徴がある程度の年齢になっても残る人がいます。一般的に人見知りという時はそのような特徴が残り続けてる人です。つまり七尾百合子は初めて会う人、慣れてない人に対して、恐怖を抱くということです。
これはどのような性格を表しているのでしょうか。まずパッと浮かぶのが怖がりやびびりという特徴でしょう。これは確かに七尾百合子の性格の一部分を担っていると僕も考えますが、これだけじゃなくてここでは新しい物に対する恐怖というものもあると思います。またその恐怖についてはただの根拠のない恐怖ではなく、そういう状況に対する耐性の低さというのがあるとも思われます。つまり、七尾百合子は新しい状況につよいストレスを感じてそれを避けようとする性格があると思われます。

妄想好き

そして、七尾百合子について二番目ぐらいに語られるのは妄想好きという要素です。妄想好きとは具体的にどういう事でしょうか。妄想好きというのにもいろんな物がありますが、ここではあえてその具体的内容には踏み込みません。ここで問題にするのはその妄想好きを支える性格を見つける事です。
まず、妄想好きを支えるために必要なのは内向さです。ここでいう内向さというのは社交性の有無ではなく物事に対する志向性です。ある意味で現実的か理想的かみたいな言葉の方が近いかもしれません。例えば内向さがない人、つまり外向的な人の場合は志向が外に向いており、自分の中でうじうじ考える事より実際に動いたり他人と触れ合ったりする事を優先します。逆に内向的な人の場合は自分の頭でいろいろを考えること、これに重きを置く傾向があると言えます。もちろん全ての人間は内向と外向で白黒分けられるわけではなく、その中間のグラデーションのどこかに位置するものです。ただ、妄想という短期的な実用性のない頭の中の遊びに熱中しているという特徴はそれが十分に内向側によってると言えるのではないでしょうか。

本を読むのが好き

七尾百合子は本を読むのが好きです。これも1番目に語られる事でしょう。本や読書については後でじっくりと語りたいと思っているのでここでは軽くに留めておくが、読書家の特徴の一つとしてここでは好奇心をあげておきましょう。本を読むことはいろんな知識や経験を追体験する事ができます、実際に七尾百合子は絶対にできない体験ができるから本が好きというのを語っている通り、知らない事を知りたいという欲求が通常よりつよいのではないかと思います。

意外と元気

通常、七尾百合子みたいな読書好きで人見知りとなるとおとなしくて物静かなイメージかもしれないが、七尾百合子の根は元気はつらつという感じです。人見知りではありますが、マシンガントークなど親しい人の前ではいろいろとアグレッシブな行動に出る面もあり、十分に元気はつらつと言えるのではないでしょうか。
ここで元気がいいとはどういう性格の表れか考えてみよう。それ自体が性格を十分に表してるのもそうですが、ここではこれを外へ向かうエネルギーの湧いてくる量が多いと考えてもいいのではないでしょうか。七尾百合子は喋るのも動くのも書くのも結局はその外へのエネルギーに担保されてるのではないでしょうか。まあそれを一言でいうと元気がいいということになるのでしょうがね。

運動が苦手

運動が苦手な事と性格は関係ない事と思われるかもしれません。運動が苦手な事は身体の問題で性格とはまた別というのはその通りです。しかし、ここではそれが七尾百合子に及ぼした影響について考えてみたいと思います。
幼少期の世界では運動能力の有無というのは大きな意味を持ち、それに負い目のある七尾百合子はなんらかの劣等感を小さいうちから抱き続けてたのではないでしょうか。それはある意味の自己への自信のなさにつながりそれは引っ込み思案なところやこわがりな性格に繋がるのではないでしょうか。

まとめ

最後にこれらの事をまとめると七尾百合子の性格はおおむね次のような感じになるでしょう。

  • 怖がり
  • 内向的
  • 好奇心がつよい

この3つの性格の中には矛盾する要素もありますが、矛盾する要素があるのがある意味人間らしいし、そここそが七尾百合子の魅力であることはこれから述べていきたいと思います。

*1:ただ自閉症児などにはそのような時期が存在しない場合がある。

続きを読む

ラカン理論を用いた『一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルが思い出せない』(日向坂46 作詞秋元康)の考察

 この曲は秋元康プロデュースのアイドルグループ、日向坂46の楽曲の一つである。今回はこの曲についてラカンの理論を使って考察していきたいと思う。

 まずこの曲で一番のキーワードとなるのが「一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトル」だ。長いから以下「小説のタイトル」とする。サビ以外は思春期特有とも言えるような心情の発露が基本的な歌詞であるが、サビになると突然小説の話になる。このある意味難解な歌を読解するヒントは独白部分とブリッジ部分にあたる次の部分だ。

 表紙のデザインもそこに書いてある字体も覚えているのに、小説のタイトルが思い出せない。どうしても気持ち悪くて実家の僕の部屋の本棚も机の上も押入も探したのにそんな小説はどこにもなかった

 それは初めからあったのかな 想像の中の記憶じゃないか どこかで勝手に作り上げて大事にしてきた理想の僕だ

 

  ここで「小説」というのは「理想の僕」である事が明示されている。また、「小説のタイトル」の特徴として字体を覚えているのに思い出せない、探しても見つからないという特徴がある。

  これらはラカン理論でいう対象aの特徴と一致している。対象aは言葉じゃ決して捉えられない物であり追い求めれば追い求める程こぼれていく物であるし、なによりその人の理想の人間という物の中に潜んでいる物だ。ここで、小説のタイトル=対象a=理想の自分という観点からこの曲を最初から見ていこうと思う。

 僕がなりたい僕を追いかけても腕をするりとすり抜けてどこか知らない場所へ消えてく

 ここは対象aの捉えられなさを示している。

 理想なんて非現実的な夢物語じゃないか ただの口当たりのいい諦めさせないための人参だろ?

  対象aというのは様々な欲望の中心にあることが多いし、欲望のエンジンであるとも言えるからここも対象aの説明を示している。

遺伝子組み換えされたそんな欲望の出口 忘却しかないんだ

  遺伝子組み換えされたと受動態を使っているところがここで注目したい。ラカンの理論においては欲望は他者からやってくる。まさにこれはそれをうまく示す理論である。また忘却というモチーフも精神分析的に掘り下げられそうだがここでは私の実力不足のためにここでは触れないでおく。

  知らぬ間にあきらめることだけが上手になって来た気がする 大人になるっていうのはそういうことだってわかった 覚えなくていいことばかり頭に満タンなんだ

   ここでは特にラカン的な解釈をつける要素はない。ただこの歌全体を貫く思春期の憂鬱みたいなのがうまく描かれてる。またこの次のサビの部分はスキップする。

  人間はなりたい自分になれないから思い悩んで苛立って妥協しながら見栄を張るんだ

  “本当”なんて自己申告には説得力がないね 他人から見える僕がどう思われたいかの口実さ 印象操作するように知的でスタイリッシュなイメージが欲しいんだ

    自己申告には説得力がないというのはラカンが指摘している自己言及のパラドクスによる自我の把握の不可能性だ。他人から見える僕のイメージを重要視するのは鏡像理論において他者を見る事によって自分を把握することから来ている。つまり自分を見る目は他者を見る目と変わらないのだ。なお次の部分とその後のサビはラカン理論で説明することがないのでここではスキップする。

  

 では、この曲全体をラカン理論で見た時には何が言えるのだろうか。

 まずこの曲は思春期特有の心の葛藤を歌った曲だ。大人にならないといけないが本当に大人になることは正しいのか、そういう葛藤を歌った曲だ。私はここにエディプスコンプレックスの再現を見る。大人になれという圧力―父の名の法―の下で現実が揺らいでいるときに対象aがそこで出てくる。最初は父の名の法に抵抗しようとするが、それはうまくいかず最終的には父の名の法を受け入れるー去勢されるーことで大人になる。フロイトが重要視していたトーテムとタブーの話に近い構造が思春期特有の心理の中には隠れている。この曲はそれを指摘する曲であると私は考える。

日向坂で野球チーム、組んでみた

お断り

運動能力じゃなくてグループ内での立ち位置というかパフォーマンス中心にバラエティ等の能力を少し加味みたいな感じみたいなので決めています。あともちろん独断と偏見です*1

 

内野手

東村芽依

ポジション:ショート、(内野その他)

背番号:2

打順:1

打率、出塁率本塁打:.312 .342 12本 

安定した守備と抜群のバットコントロールでチームを引っ張るリードオフマン

 

加藤史帆

ポジション:二塁、(一塁)

背番号:8

打順:5

打率、出塁率本塁打:.311 .353 25本

走攻守安定してレベルの高いスラッガー

 

齊藤京子

ポジション:一塁、(DH)

背番号:44

打順:4

打率、出塁率本塁打:.289 .321 34本 

抜群のパワーでここぞという時にキメてくれる頼れる4番

 

井口眞緒

ポジション:DH、(一塁)

背番号:55

打順:6

打率、出塁率本塁打:.246 .262 24本 

守備と走塁には不安があるが圧倒的なパワーで一発を期待できる大砲

 

丹生明里 

ポジション:三塁

背番号:7

打順:7

打率、出塁率本塁打:.287 .321 4本

安定した守備と打撃を武器に全力プレーでチームに貢献

 

高瀬愛奈

ポジション:内野全部

背番号:22

打率、出塁率本塁打:.246 .293 2本

走塁を武器に守備固めや代走でチームを支えるオールラウンダー

 

外野手

渡邉美穂

ポジション:中堅

背番号:9

打順:3

打率、出塁率本塁打:.323 .382 17本

走攻守ともに安定した実力でクリーンナップの一角を担う

 

・佐々木久美 

ポジション:中堅

背番号:3

打率、出塁率本塁打:.282 .374 8本

勝負強さを武器に代打の切り札として活躍する頼れるチームのキャプテン

 

富田鈴花

ポジション:左翼

背番号:4

打順:2

打率、出塁率本塁打:.292 .345 12本 

 走攻守とも攻めたプレイが目立つ外野手、その分走塁死やエラーは多め

 

・宮田愛萌

ポジション:右翼

背番号:6

打順:9

打率、出塁率本塁打:.276 .311 1本

パワーがあるタイプではないが、ここぞという時の勝負強さが魅力

 

高本彩花

ポジション:外野全て

背番号:5

打率、出塁率本塁打:.242 .299 5本

堅実な守備が魅力の外野手

 

捕手

・潮紗理菜

ポジション:正捕手

背番号:27

打順:8

打率、出塁率本塁打:.243 .296 8本 

強肩でピッチャー陣を支えるチームの女房役

 

影山優佳

ポジション:捕手

背番号:22

打率、出塁率本塁打:.263 .328 3本

的確なリードでピッチャー陣を支える第二捕手、代打代走でも活躍

 

投手

小坂菜緒

ポジション:先発投手

背番号:1

防御率、勝敗:1.98 16勝3敗 

抜群のコントロールで安定した勝利をチームに届ける絶対的エース

 

・上村ひなの

ポジション:先発投手

背番号:17

防御率、勝敗:3.43 8勝5敗

荒削りだがキレキレの変化球を持つポテンシャル抜群の先発二番手

 

・金村美玖

ポジション:先発投手

背番号: 18

防御率、勝敗:2.98 6勝8敗

安定してるが勝ちに恵まれない不運な投手

 

・松田好花

ポジション:先発投手、中継ぎ投手

背番号:11

防御率、勝敗:2.56 4勝2敗 11H

先発も中継ぎも器用にこなしチームに貢献する制球派投手

 

柿崎芽実 

ポジション:中継ぎ投手

背番号:54

防御率、ホールド、負け:1.74 32H 1敗

ピンチでも落ち着いたピッチングが魅力のセットアッパー

 

・濱岸ひより

ポジション:中継ぎ投手

背番号:34

防御率、ホールド、負け:2.43 27H 4敗

キレのある変化球を武器にする速球派投手 

 

・河田陽菜 

ポジション:中継ぎ投手

背番号:21

防御率、ホールド、負け:3.01 11H 5敗

キレのある変化球が魅力のセットアッパー

 

佐々木美玲

 ポジション:抑え投手

背番号:13

防御率、セーブ、負け:1.34 32S 2敗

圧倒的なストレートで勝ちを守る、頼れるクローザー

 

 

*1:あと野球も日向坂もにわかなのでとんちんかんなこと書いてるかもしれませんがご了承ください

来たるべき民主主義にいかに動物を参画させるか ー パトリック・ロレッド『ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理』読書メモ

1.はじめに

 長らく積んでた本ですか最近デリダの入門書を読んだのでまた読み進める事に。デリダの基礎知識なしで読んでた昔の時代がいかに無謀だったのかと思いながら、それでもちんぷんかんぷんになりながら読み進めました。この本で書かれてるのはデリダは動物をどう扱うべきかという問題についてどのように考えていたのかの概説です。薄い本ですが日本語の書籍*1ではデリダの動物=政治を扱った本を他にないようなので興味ある人はこちらから。それでは簡単に内容紹介。

 

2.動物=政治

 まずデリダの動物に関する話で一番基本となる動物=政治概念についてです。終わりの方にある解説では次のように触れられています。

すなわち、人間に固有なものが存在するのは、きわめて拡大された意味での理性概念においてさえ、理性的ではなく、そうありうることもなく、また政治的ではなく、そうありうることもない動物との対立において、人間が理性と言葉を備えた政治的な人間であるかぎりにおいてである。

(P.128)

 つまり、人間は理性的ではない獣を対比の関係に置くことにより自分たちが理性的な存在であることを担保してるという考え方です。この考え方は全ての近代国家の根底にあるものだと指摘しています。 

 しかし、このような仕組みは果たして正しいと言えるのでしょうか?

 それがこの本の肝になる部分です。

 

3.肉食-ファロス-ロゴス中心主義

 デリダはこのような一般的に優越のついた二項対立について、劣ってる側には優れた側特有の部分があるし優れた側にも劣った側特有の部分があるという事を指摘する事でそのような二項対立に揺さぶりをかけようとする思想家でした。そして後年のデリダがそのメインターゲットに選んだのがまさにこの動物=政治概念でした。

 その動物=政治概念によって引き起こされる肉食*2という動物たちへの暴力を、他の二つの二項対立における問題と同じような構造の物と根源的に同じ問題なのではないかということを考えるために作り出された概念がこの肉食-ファロス-ロゴス中心主義です。

この二つの概念*3いずれかもが再示しているのは、西洋が話し言葉(パロール)と理性に絶対的な特権を付与してきたということである。

(P.21)

 またこの二つの二項対立の問題の根底にあるものとして指摘されてるのが男性的な権力です。

西洋において政治権力は男性の人間において具現化されてきた

(P.21)

 そして、その権力が理性的でも言葉が喋れるわけでもない動物に向かうというわけです。

この権力は、供儀に書されるべき生きものとしての動物を標的とする肉食的供犠という手段を介してのみ行使される。

(P.21)

 つまり、ここで指摘されてる事はそのような男性的権力は自分たちの優位を示すために必然的に肉食的供犠ーつまり動物への暴力ーに向かうという事です。ここがフェミニズムと動物倫理の奇妙な関係性の一因になってるのかなと僕は思います。

 

3.主権の脱構築可能性

 しかし、本当にそのような動物と比べた時の人間の優位性などという物は硬固した物として存在するのでしょうか。この本の中盤では脱構築という手段を使ってそこに切り込んでいきます。それを考える上でデリダは動物的な物の代表として獣、人間的な物の代表として主権者を想定します。

 動物的主権の哲学とはおそらく、本質的に、政治における動物性の哲学であると考えることができ、そこでは政治が動物に対して何をなしているのかーそれが現実的な動物であろうと、寓話的な動物であろうとーが主に問題となっている。(中略)なぜつねに西欧哲学は政治的なものを、動物に両義的な地位を与える問題系に組み込むことによって思考してきたのか、そして同時に、なぜ西欧哲学は政治的なものを人間に固有なものとしようとしてきたのか

(P.59-60)

 両義的な地位というのはデリダ脱構築のキーとしてよく使われるパルマコン(毒にも薬にもなるもの)という概念を指しています。ここでデリダが言いたい事は獣という主権者の反対として通常は想定されてる物がなぜ主権のアナロジーとしてよく使われるかー高校の教科書レベルの話でいうとポップズの『リヴァイアサン』などが有名だと思いますーということです。

 これこそが動物に比べた人間の優位性を崩すために、そうしてそのような事を指示する考え方が広まったのかを探る大きな鍵となるのです。つまり、主権という動物に対して優位だと考えられてる人間を代表するような概念の中心には実はそれと対にして考えられてる獣の性質が込められており、その「恒常的なウイルスの脅威」のためにこのような動物を劣ったものとして置くような価値観を西欧社会は発展させたとデリダは指摘します。

この政治的パルマコロジーは、同時に、あらゆる携帯における動物性に対する支配と、動物性との同一化によって成り立っている。

(P.65) 

 

4.触覚中心主義

 そして人間だけに開かれたわけではない新たな共同体を模索するためにデリダが重要視したのが触覚です。さらに触覚についてもパルマコン的な存在としてその両義性を考察していきます。

 まずデリダが触れられるのは触覚が人間と動物を分かつ法として働くことです。

触覚中心主義はまさに人間に付与された特権でありー人間は治世の器官たる手のおかげで優越性を保持しているとされる

(P.96)

 つまり、ここでデリダは触覚中心主義というのは先ほど出てきた人間を中心とした考え方の亜種であると指摘しています。しかし、その脱構築の先にはそれとは違う触覚中心主義の姿も見えてきます。

触れられた動物は 同時に主体でも客体でも、「誰」でも「何」でもある。

(P.99)

 つまり触れてるという状態はどちらが触れているか触れられているかそういう区別を無効にする効果があるという事です。デリダはここに触覚の可能性を指摘したのです*4

 

5.おわりに

  はじめにも述べましたが薄いですけど、扱われてる内容は非常に豊かで面白いです。薄くないと言おうとしましたが、現代思想の本なのでどうしても人によっては薄さを感じてしまうと思います。ぼくはデリダしか触れてませんが、デリダの思想はあくまで批判理論であって、ある意味では何も言っていません。しかしそれでもこの理論は重要なものだと僕は考えます。

 来たるべき民主主義*5、それがどのように動物に開かれてるのか、それはいまの僕には想像すら出来ませんがいつかそんな日が来ることを思うと非常にワクワクする。そんなことをこの本を読みながら感じていました。

 

 

ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理

ジャック・デリダ 動物性の政治と倫理

 
デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

デリダ 脱構築と正義 (講談社学術文庫)

 
動物倫理入門

動物倫理入門

 

 

*1:論文ならぼちぼちあるらしいですけど

*2:ここでは単純に動物の肉を食べる事を含めてもっと広義な意味で使われています

*3:ロゴス中心主義とファロス中心主義

*4:厳密には贈与の話をしないといけないのですが僕の手には余るので省略します

*5:デリダが設定した民主主義の最終到達地点

""ホンモノ""のドルソンが聴きたい

 ホンモノのドルソンが聴きたい。どういう曲がホンモノのドルソンか、それを説明するのは難しいけど、それでもやっぱり芯に迫るパワーを楽曲単体で持つドルソンというかメッセージ性が極めて高いドルソンというか祈りといえるドルソンというかそういうのは確かに存在して、ぼくはそれが欲しい。というわけで僕の独断と偏見でホンモノ認定されたドルソンをまとめます。二次ドル中心ですがちょっと三次ドルを。思いついたら追加していくので仮完成ということで。

 

アイカツ

・るか、ななせ、かな、みほ - episode Solo

・ななせ - Dreaming bird

・せな、りえ、みき、かな - STARDOM!

 

アイマス

・凸レーション with 城ヶ崎美嘉(デレ) - 私色ギフト

天海春香萩原雪歩高槻やよい三浦あずさ(AS) - そしてぼくらは旅にでる (M@STER VERSION)

・Clover(ミリ) - Clover Days

 

坂道

乃木坂46 - シンクロニシティ

けやき坂46(日向坂46) - 誰よりも高く跳べ!

けやき坂46(日向坂46) - ハッピーオーラ

 

ナナシス

セブンスシスターズ - Star☆Glitter

777☆SISTERS - H-A-J-I-M-A-R-I-U-T-A-!!

777☆SISTERS - Cocoro Magical

777☆SISTERS - KILL☆ER☆TUNE☆R

777☆SISTERS - 僕らは青空になる

・AXIS - HEAVEN'S RAVE

 

プリティー

りんね(プリリズRL) - gift

・ふれんど〜る&セレパラ歌劇団(プリパラ) - アラウンド・ザ・プリパランド!

・プリパラ☆オールアイドル's(プリパラ) - オールアイドル組曲 プリシャス♪

・ミラクル☆キラッツ(プリチャン) - レディー・アクション!

 

ラブライブ

・μ's - Wonderful Rush

・μ's - No brand girls

・μ's - SUNNY DAY SONG

Aqours - 君のこころは輝いてるかい?

高海千歌桜内梨子渡辺曜決めたよHand in Hand

Aqours - 太陽を追いかけろ!

Aqours - MIRACLE WAVE

 

リステ

・KiRaRe - 憧れFuture Sign

 

WUG

Wake Up, Girls! - 極上スマイル

 

その他

でんぱ組.inc - あした地球がこなごなになっても

バンドじゃないもん! - Q.人生それでいいのかい?

=LOVE - アイカツハッピーエンド

 

ここまで書いてて気付いたのは僕は世界に祈りを捧げるような曲をホンモノだと感じてるみたいです。というわけで、世界に祈りを捧げる曲一覧としてご覧ください。

橘ありすと近代の夢

どこかで憧れは理解とは一番遠い感情と聞いた事があります。まああながち間違いではないでしょう。みなさんの多くももこの言葉を聞いたときにそう感じると思います。

今日は自分の憧れについての話をしたいと思います。この記事はやっきゅん氏主催の「たんあいがたり」というアドカレの一環として書かれています。もしこれがキャラクターの正確な解釈の議論をする場所であったら自分がこのアイドルで書くのはあんまり良くないかもしれません。しかし幸いこの企画は正しい正しくないよりただただ自分の「好き」を語る企画と聞いています。良い機会なのでこうやって文章として吐き出す事によって自分の中でも橘ありすという存在を振り返ってみたいと思います。

なお、本当は橘ありすについての文章についても最初は論理展開がキッチリしてて過不足のなく分かりやすい橘ありすっぽい文章にしようと思っていましたが、プロット書いただけでそれ以上は進められなかったので断念しました。あくまで橘ありすは憧れの人であって自分ではないので無理みたいですね。この記事はいつもの自分の文章らしく余分な部分があまりに多すぎて議論が二転三転して何を言ってるのかよく分からない文章になると思いますが最後まで読んでくれたら幸いです。

 

まず橘ありすを一言で表すとしたら自分が選ぶ言葉は「近代の夢」です。ここからは前置きですので面倒くさい話やアイマスと直接関係のない話がきらいな人は飛ばしてください。近代というのはどういう時代か、それどころか具体的にどの時間帯を指すのか、それには色々な意見があるでしょう。僕は歴史学の専門家でも高等教育を受けたわけでもないただのおたくなので厳密な事は言えませんが、ここでは具体的に近代がどの時間帯かというのを抜きにして、まず自分が近代の価値観だと考えている事について見ていきたいと思います。それが合理主義と個人主義自由主義です。この時代に起きた様々な事の中でこの3つの考え方がどういう意味を持っているのでしょう?まず1つめの合理主義です。これをもたらしたものは様々ありますがその象徴がまさにニュートン力学(古典力学)の大戦果でした。実験と論理を使った科学的方法論は様々な分野で人類に正確な「予測」をもたらす可能性を与えました。これを世界の理解について大きな革命を与えました。神的な存在を使わなくても*1未来を予測することが可能になったのです。これがもたらした物が合理主義です。つまりこの世界は因果関係において成り立っているため未来を適切に予測してそこから逆算して因を求める事により望みの果(結果)が得られる事が可能になるという事です。これは人間が自分の力で未来を決定できるようになったという事です。人類はついに理性によって未来を支配する事ができるようになったのです。もちろん自分が分かってる範囲内でありますが、その範囲もどんどん広がっていきます。そして人間の存在の意義、これが大きくなっていった先にあるのは全ての未来を自由にコントロールできる可能性ある存在*2に対するリスペクトです。そこで出てくるのが個人主義自由主義です。合理主義を核として現代に繋がる価値観がはっきり価値のあるものとして出てきたのが近代だったのです。

 ここで話を戻しましょう。橘ありすさんのことです。そうですこれは橘ありすさんの雉です。橘ありすさんが合理主義者というのはなんとなくは皆さんも納得されるかと思いますが実はモバを少し漁るともっと露骨な証拠があったりします。例えばこんな感じのセリフがあります。

「今回のお仕事の必要性とは?」

ーN 橘ありす

 

「はぁ、はぁ……。ステップの練習は、結構ハードですね。ダンスのレッスンは、全体的にレベルが高めに設定されていませんか。私は、このレッスンの必要性がわかりません。トレーナーの方は、開始前にそのレッスンの意義について解説するべきだと思います。」

ーぷちデレラ 橘ありす

  合理性という概念は怠惰の言い訳に使われる事も多々ありますが、橘ありすさんには怠惰という言葉が似合わない事はみなさんもご存じだと思います。実はここの怠惰が似合わないというところも合理主義と関連があります。さっきも述べましたが合理主義を徹底した世界観では全ての結果の原因が本人にあります。もちろん責任も本人にあるのです。橘ありすさんはそれをよく分かっています。だからこそ橘ありすさんは怠惰を良しとしないでしょうし、それを他人にも求めています。実際に橘ありすさんは恋人に求める条件として「しっかりしてる」という条件をあげています。他人に厳しく自分にも厳しい。それが橘ありすさんなんです。

 また橘ありすさんを語る上で欠かせない要素は家族でしょう。橘ありすさんと家族の間には複雑な関係(複雑と言ってもそんな重たい物ではありませんが)があります。橘ありすさんの考え方と家族との関係性を考える上で欠かせないのはおそらく次のセリフでしょう。

「以前、親に名前の由来を聞いたんです。そうしたら、『かわいいでしょう』って。理由になっていませんよね……。母は私のことを可愛い愛玩人形としか思ってないんだって。そう思ったら、笑う気分じゃなくなってしまったんです」

ーぷちデレラ 橘ありす

 自分の経験や気持ちをこれだけ簡潔に論理整然と話せる言語能力(しかも書くじゃなくて話すですよ)にしびれてしまいますね。やっぱり頭のいいアイドルは偉いです。それはそうとこのセリフには大きなポイントがあります。自分を可愛い愛玩人形としか思ってない事に対して「笑う気分」ですらなくなってしまったのです*3。笑う気分じゃなくなるという表現は相当な失望を表す物だと僕は理解しています。橘ありすさんは自分が愛玩人形のように扱われる事に対して深く失望する人間なのです。ここで先ほど述べた要素がまた出てきます。それは個人の尊重です。人形というのは人間の所有物です。自分が誰かの所有物のように扱われるのが許せないと橘ありすさんは考えているのです。これは普遍的な感情ですが先ほどのようなやり取りからそういう要素を見抜く力はやっぱり頭がいいなと感じるのです。また、失望という言葉は望みを失う。つまり望みを持ってないと期待をしてないと生まれません。12歳ぐらいの人間の人格において親の果たす割合は決して小さくないと思います。これだけドリベラル(先ほどあげた3要素を持ってるぐらいに捉えてください)に育つには親もそれなりに進歩的な人間であることが考えられます。橘ありすさんはよりによってそんな進歩的な親にそういう事を言われるのが相当のショックだったのではないでしょうか。

 また橘ありすさんがこの道に進むにあたって親の影響というのは決して少なくありません。たとえば次のようなセリフなどがあります。

「それは……昔、もっと幼いころ、両親に歌をほめてもらったんです。上手だねって。その思い出が、忘れられなくて。だから、歌や音楽の仕事なら、親を喜ばせられるかもって、そんな理由です。」

ーぷちデレラ 橘ありす

 

「私、小さい頃両親に一度だけミュージカルに連れて行ってもらったことがあります。その内容は夢みたいなお話で、辛い状況の中で歌の力で皆を励まして乗り越えていくっていうものなんですけど……あの、私、全然泣いたり笑ったりしないタイプで、そのせいでちょっと…………色々上手くいかないこともありました。でも、私そのミュージカルを見て、その…………初めて感動のあまり泣いちゃったんです。そしたら……それを見た両親が笑ってくれて。それからです、音楽には力があるって思って。私も、誰かの心を動かせるような、そんな音楽をやってみたいって思うようになりました」

ーCINDERELLA MASTER 036 橘ありす

 優秀で仕事に熱心で忙しい両親の事を誇りに思いながらもどこか寂しさを抱えるアンビバレントな感情がここでは出ていますね。橘ありすさんは両親が好きですしおそらく尊敬もしてるでしょう。しかしそこでも一抹の寂しさを抱えて年相応に甘えたいという気持ちを心の奥底に持ってるわけです。もちろんこれは大切な事です。幼少期の愛着不足は本当に後を引きます。最近、自分は社会のアンダーグラウンドにいる人を対象としたノンフィクションをよく読むのですが、そういう人たちも元をたどれば親からの愛着が足りなかったって場合が多々あります。優秀な子供が甘え不足になる。ありがちだけど悲しい問題ですね。

 

 ここまで橘ありすさんはどういう人間なのか簡単に振り返ってきましたが、では橘ありすさんはどこに向かうべきなのでしょうか。その話をする上で先ほどの「近代の夢」という部分が大きく関わってきます。近代がさきほど述べたような時代なら現代はどんな時代でしょう。現代思想っていうジャンルはどちゃくそ難しいので*4厳密な事は言えませんが、簡単に言えば近代の一部否定です。まず大きいのは単純な因果関係の否定です。これは当たり前の話ですがある人が成功するか成功しないかにはその人の努力や準備だけではなくどうしようもない運や感情が入ってきます。仏教でいう縁というやつですね。というか本人にいかんとできる要素よりそういう要素の方が大きい場合も多いでしょう。また、合理主義の元になってる未来予測という面にも20世紀になって陰りが出てきてます。例えば一部の非線形微分方程式のように解析的に解けない例(つまり答えが正確に求められない問題です)というのは近代の段階でも発見されていましたが、その場合は近似によって近い答えを求める事が可能でした*5 。しかし20世紀になってからカオスと呼ばれる簡単に言うと近似できない物が出てきました。有名な例が二重振り子です。揺れる振り子の下に揺れる振り子をつけた場合の運動は現代科学では絶対に予測する事ができないのです。そういう自然科学の世界だけではなく社会科学の世界でも確固たる自己や人間の理性という概念に疑問符をつけるような議論が多々出てきました。当たり前ですけど僕たちは日々変わります。いろんな人と出会ったりいろんな経験をしたりして成長したり悪影響を受けたりそうやって時間はすすんでいくのです。また後者も考えて見れば当たり前ですけど人間は馬鹿です。間違った答えを導き出したり明らかな間違えに騙されたりそういう事が起きる事があることはみなさんも当たり前のように知ってるだろうし、実際に学問の世界でもそういう主張が支持されてきています。

 自分はこういう現代の考え方が橘ありすさんの進む道を考える上で大きなヒントをくれるように思えます。橘ありすさんの自分に求められる物を必死に果たそうとする部分は本当に素敵ですし自分も心から尊敬しています。しかし、もし失敗した時に全部が自分の責任だと考えてしまったら折れてしまいます。またそういう全能な合理主義(つまり結果は自分の行動で完璧にコントロールできるという考え方)は環境や運のせいで不遇な結果を得てしまった人たちに対する冷淡な態度に繋がります。橘ありすさんは目に見えたマイノリティに冷たく接する人ではありませんし頭がいいのでちゃんとそういう所まで考えられると思いますが、少し思い込みがつよいところもあるので一見でそういう人たちにつよい非難の言葉をかけてしまう事もあるでしょう。全能な自己、完全な正しさを追い求める事はとても素晴らしい事ですし橘ありすさんにそれを諦めて欲しくありません。しかし、橘ありすさんにはもうちょっとだけ広い世界を見て欲しい。橘ありすさんはいい両親に育てられたのでしょう。厳しさの中にも確かに芯のつよい優しさがあります。そういうのを自己や一見自己責任に見えるような形で酷い境遇のいる他者にも向けて欲しい。自分はつよくそう思うのです。完璧主義は悪い物ではないというか素晴らしい物です。でもそれから逸れる自己も少しは認めてあげて欲しい。そういう風に橘ありすさんにはなって欲しいとぼくは思います。

 

 話が二転三転してよく分からないけど長い意味不明な文章になってしまいました。ここまでお読みいただいてありがとうございます。

 最初にも述べましたがこの記事はやっきゅん氏主催の『たんあいがたり』というアドカレ企画の一環として書かれました。前日の記事はアンドリューさん(13)の「星井美希がすこな話 - 残念ながらお金を用意することができませんでした」です。星井さんを好きになっていく過程と魅力が簡潔にまとめられてて面白かったです。これからも肺に気をつけながら元気に過ごしてください。またこの翌日の記事はまつたけんさんで白菊ほたるさんについてです。先日初ステージを済ませていま話題の白菊ほたるさん。声がつく遙か昔からずっと担当してたまつたけんさんの愛の告白は楽しみですね。

*1:これは神的な存在を一概に否定してるわけではありません

*2:ここで注意しないといけない事はその存在の範囲というのは自明的ではないという事です。もっと具体的に言うと人権の範囲です。近代の象徴的な物の一つであるフランス人権宣言でもその対象として規定されてるのは市民権を持つ男性に限られていました。これは現代の社会で成人した男女に足して様々な権利が認められてる事から考えると非常に狭く正しくない範囲でしょう。しかしここから漏れてる人、たとえば子供や動物などについても成人男女と同等な権利を一部でも認めるべきなのではないでしょうか?こういう議論も近年では活発になっていきます。興味ある人は正義論について学んでみてください。

*3:話は変わりますが、「ありす」という名前は個人的にはすごくいい名前だと思います。まずこの名前を選ぶ上で考慮されたのは欧米圏の人間からの発音のしやすさでしょう。ロンドンでうまれた僕の高校の知り合いもそうでしたが海外で産まれたりそういう環境にいる場合は外国人からの発音のしやすさも名前を選ぶ上での大きな要素になるそうです。橘ありすさんの両親はバリバリのエリートサラリーマンって感じがしますしワンチャン外資勤務でしょう。仕事で外国人と付き合う事はよくあるし子供に対してもそういう場所で活躍して欲しいと思うのは当然の感情じゃないでしょうか。また「ありす」という名前の絶妙な魅力は日本人にも欧米圏の人にもなじみがあることです。実際に有栖川という地名や苗字は存在しますし、意外と「ありす」という言葉は日本語から浮いてるわけではありません。また欧米圏でも「Alice」と言ったら知名度の高い名前でしょう。そんなわけでぼくはこの名前がすごく好きです。またここからはうまく言えませんが本人の芯の強さみたいなのが響きにうまく出てる気もします。

*4:厳密に言うと理論自体の難しさ以上にそれを論じてる人が書く文章が無駄に難しいというのもあります

*5:というか物理学というのはある意味近似によって成り立っています。例えば重さを量ろうってなった時にも本当に正確な値を求める事は不可能ですし求める必要もないのです(例えば50kgと50.0000000000001kgの間にどれだけの差があるのでしょうか?そこまで厳密にする意味がありません。)。

白石紬さんの魅力

 

最初に

 白石紬さんの魅力は?と聞かれた時に多くの人はその早とちりが酷くて打たれ弱い所ー分かりやすく言えば"ポンコツ"ーを挙げる人が多いだろう。確かにあの人の目立つ面はそういう所だし多くの人が最初に知るところもそういう所だろう。そのため白石紬さんは見かけだけ強がってるけど中身は……みたいにバカにされがちである。しかし、僕は白石紬さんの魅力はそこだけじゃないと思う。いや正しくはそこなのだがただ"ポンコツ"なだけではなくその奥にある深みのような物、そこにこそ白石紬さんの魅力があると思うのだ。今日はそこを中心に僕が思う白石紬さんの魅力について掘り下げて行きたいと思う。

 

白石紬さんの魅力

①顔、身体

 まず、顔がいい。これはみんな知ってるけど改めて言わせて欲しい。顔がいい。細めのつり目は美少女というより美人に近く、家が呉服屋という事で和服がすごく似合う。身体については全体的にスレンダーでありながらそれなりに出るところが出ておりこちらも文句のつけようがない。あと個人的に付け足したいのは脚である。これはアイマスアイドルみんなそうだから特別白石紬さんがってワケじゃない気もするが、すらりと長く伸びながらもただ細いだけではなく適度に筋肉と脂肪のついた脚、しかも初期SSRの衣装だとそれがとてつもなく似合う。ああいう美脚のキャラに和服とホットパンツの組み合わせを着せるのはあまりに反則である。さらに目を引かれるのがその髪であろう。長くのびたさらさらの髪、自分にはそれを表す語彙力がないのが憎い。脚もそうだけど本当ならここだけで1万文字ぐらいかけたい。でも無理だからこれで勘弁。

②脳

 おそらくアイドルの魅力を語る上で「脳」という章を立てる人はそうそういないだろう。だが、ここで白石紬さんの魅力を語る上では欠かせない要素であると僕は考えてるので語らせて欲しい。

 みなさんご存じの通り、白石紬さんは早とちりや思い込みが酷いところや慣れてない環境でパニックを起こしやすい傾向にある。これは一体どこから来てるのだろうか?僕はそれが脳の先天的な器質的特性から来ていると思っている。つまりこれらの要素は白石紬さんが脳の構造上の問題として生まれつき持ってる物だという事だ。ここで勘違いして欲しくないのは別に白石紬さんに何らかの知的障害や発達障害があると言ってるわけではなくあくまで脳の"個性"としてそういう傾向があると言いたいのだ*1

 ただ白石紬さんは言動はしっかりしてるし、単純な頭の良さはなかなかであることだけは付け加えておきたい。

 最終的にここで言いたい事は白石紬さんのそれらの特性は生まれた時から不可抗力的に持ってる"個性"であるという事だ。この節ではまだこれらの要素がどのように魅力になるかは触れないがこれだけは覚えておいて欲しい。

③家

 白石紬さんの家は金沢の呉服屋だ。金沢というと加賀百万石の城下町として栄えた歴史ある街だ。そんな街の旧家の出身という事で白石紬さんは幼い頃から厳しい躾を受けてきたことが想像できる。実際にミリシタのメモリアルコミュでは立ち振る舞いが完璧であることに触れられている。

 しかし、ここで思い出して欲しい。白石紬さんはそういう礼儀作法などを器用に楽々覚えられるような人間だっただろうか?おそらくそうじゃなかっただろう事はみなさん想像できると思う。またさっきの節で触れたように白石紬さんは小さい頃から早とちりや思い込みが酷く、慣れてない環境でパニックになりがちだったはずだ。もしかするとそういう"旧家の娘として相応しくない"部分を厳しく叱られてきたのではないだろうかと僕は思う。実際にオーディションでの早とちりや思い込みについては気付いた時に黙り込んでしまってる。これはあまりそういう面を人に見せるのははしたないと教育されてきた結果なのではないかと僕は思うのだ。そしてみなさんご存じの通り白石紬さんは自己肯定感が低い。それもこういう幼少期からの体験に由来してるのではないだろうか。

 しかし、白石紬さんのすごいところはそれでもめげずに真っ直ぐ求められる物を表面上だけでもみにつけた所だ。そして白石紬さんの両親も厳しながらもそんな紬さんを暖かく見守ってたように感じる。その証拠といってはなんだが白石紬さんは自分の能力に対する自己肯定感は低けれども自分自身に対してはそこまで否定的じゃない気がする。芯がしっかりしてる。

 また、白石紬さんは地元や実家にそれなりの誇りを持ってる*2。そういう所も両親が厳しさの中に愛を持ってるところが大きいのかもしれない。実際に高3の子供がいきなり上京してアイドルになると言い出した時にいろいろ話し合いがあっただろうが本気なのを前提としてもそれを認めるのはなかなかにいい親じゃないだろうか。

④心

 白石紬さんの魅力というとなんと言ってもその立ち振る舞いや言動に品位があるところだろう。それはただ礼儀作法が完璧なだけではなく、他人に対する意識全てに品位があるということだ。簡単な言葉で言えば思いやりがあるとかノブレスオブリージュを持ってるとかそんな感じだろう。

 また前節でも触れたが白石紬さんは芯がしっかりしてるしというか自分の価値観にきちんと自信を持ってる。しかし、白石紬さんはそれでいて頭が固いわけじゃない。向上心があって自分の成長に繋がるような意見なら一見突拍子のない物でもきちんと受け止める柔軟性がある。ある意味自分の価値観に自信があるからこそそれを揺るがすような"異端"にも寛容でいられるのかもしれない。

 ところで白石紬さんの心について触れるなら認知フレームの歪みについても触れざるおえないだろう。認知フレームの歪みとは人間みんな持ってる世界の認識の仕方の歪みだ。例えば白石紬さんの「あなたは○○が○○だとおっしゃいたいのですか?」という言い方もまさに認知が歪んでる分かりやすい例だ。どうして大きく歪んでしまったのかというと幼い頃から厳しい躾を受けてきて叱られる機会が多かったからだろう。しかし、ここにも面白いところがあってどうして自己肯定感が低いのにここまで強気にでられるのだろう。これはまさに能力に対する自己肯定感は低けれども自分自身に対する自己肯定感は低くない事の表れなのではないかと僕は思う。また、この構文は誰にでもぶつけるわけではない。これはある意味信頼の裏返しなのではないかと僕は思う。自分の中に浮かんだ悪い考えにそうじゃないと言って欲しいからこそ言ってるんじゃないのだろうか。本人からするとそういうはしたない姿をむやみやたらに見せたくないだろうし、人間関係がこじれるリスクも承知してるだろうから、それをする相手には相当信頼してるのだろう。

 

最後に

  白石紬さんについてくどくど述べてきたが僕が白石紬さんに対して感じてる魅力をまとめよう。まず白石紬さんは先天的にそこまで器用にいろいろ出来るタイプでないながらめげずに成長を志向してきた事、そしてあの外見と品位ある立ち振る舞いの相乗効果、さらに頭がよく真面目で他者に対しても思いやりを持って接する事ができて自分の価値観に自信がありそれでいて他人の考えを自分の成長に使える柔軟性もある。つまり、最初から全部が器用にできるわけじゃない人が"高貴"に振る舞おうとするところがたまらなく魅力的なのだ。みなさんも良かったらこれからこういう点に注目して白石紬さんについて見ていただけると僕はとても嬉しいです。

 この企画はやっきゅんさん主催の「たんあいがたり」の8月33日分として執筆されました。前日は凍土高原さんの『七尾百合子が15歳でなくてはいけない私なりの理由 - 透明なモノローグ』です。七尾百合子の持つ危うさや人間的なまたあるいは外見的な魅力について4000文字以上で丁寧に触れられています。論拠の画像等も多めに入ってるのでこの記事よりはるかに読みやすいですね。また明日はシャー芯さんの田中琴葉さんへの語りです。シャー芯さんは田中琴葉なので面白い物が出てくると期待しています。ぜひみなさんもごらんください。

 

*1:もちろん知的障害や発達障害なども一種の脳の先天的な器質的特性であるしこれらも脳の"個性"と呼ぶことは本質的にはあまり間違いではないかもしれないし、そういう特性を持ってる人たちへの差別を解消する上である程度は役立つかもしれない。しかし安易な個性論もこれはこれで大きな問題を生む。受けるべき合理的配慮にアクセスする機会を逃す可能性もあるし、それによって生じる生きづらさを矮小化する事にも繋がるかもしれない。そこはいろいろ難しい問題がある。

*2:金沢の人は全体的に地元につよい誇りを持ってるものらしいが。また、実際に金沢に住んでる人から白石紬さんを見ると典型的な金沢の人に見えるそうだ。